全国百選めぐり【江戸城・皇居】

到達記録(東京都千代田区)

 東京都千代田区は百選が豊富なので、全国百選めぐり【江戸城・皇居】全国百選めぐり【千代田区の風景】に別れています。

到達記録(江戸城)

 平成20年08月06日、平成22年09月20日、平成24年10月23日、平成27年12月30日、令和05年01月04日他、何度か訪問しました。

 江戸城(えどじょう)は、東京都千代田区千代田にある城跡です。

 江戸城は、上杉持朝(うえすぎ もちとも/扇谷上杉氏)の家臣・太田道灌(おおた どうかん)が築いた平山城が始まりとされています。

 徳川家康が入城してから順次拡張され、日本最大の城郭になりました。江戸時代には江戸城ではなく江城(こうじょう)と一般的に呼ばれていたのだとか。大政奉還の後、明治陛下が入城し皇居(宮城)となりました。

 現地では、大手門、本丸跡地、天守台などが見学可能で国の特別史跡【江戸城跡】です。

 日本100名城【江戸城】日本名城百選【江戸城】

到達記録(内堀通り)

 平成20年08月06日、平成22年09月20日、平成24年10月23日、平成27年12月30日、令和05年01月04日他、何度か訪問しました。

 内堀通り(うちぼりどおり)とは、東京都千代田区にある【江戸城】内堀沿いを通る道路の通称です。

 江戸城を一周する約6kmの道になります。江戸城の外堀が埋め立てられ消滅したのに対し、内堀は江戸時代当時の姿をそのまま残しているのが特徴です。

 ランニングしている人も多いようですが、平成27年12月30日に訪問した際は、見かけませんでした。令和05年01月04日に訪問した際は、そりゃ接触事故も起こるわな、と感じるくらい走っている人が多かったです。

 日本の道100選【内堀通り】の顕彰碑は、内堀通りの北東側にありました。

 日本の道100選【内堀通り】

到達記録(二重橋)

 令和06年12月29日他、何度か訪問しました。

 二重橋(にじゅうばし)は、東京都千代田区千代田の皇居内にある鉄橋です。

 明治21年(西暦1888年)、ドイツ人ヴィルヘルム・ハイゼ設計の鉄橋が架橋。二重橋は通称で、本来の名称は正門鉄橋(せいもんてつばし)とされます。

 昭和39年(西暦1964年)、同じデザインで現在の二重橋が架橋されました。二重橋の手前に眼鏡型の正門石橋があります。

 現地の解説案内板には、どうやら石橋を二重橋と勘違いしている人も多いようです。皇居一般参観に参加すれば、実際に二重橋を渡ることも出来ますが狭き門ではあります。

 日本百名橋【二重橋】

到達記録(皇居前広場)

 令和06年12月29日他、何度か訪問しました。

 明治元年(西暦1868年)に【江戸城】が皇居となり、明治21年(西暦1888年)以来、宮城と称されていましたが、昭和23年(西暦1948年)、宮城の名称が廃止されて、皇居と呼ばれるようになりました。

 皇宮警察が守る正門石橋を超えて、【二重橋】を渡ると宮殿があり、その奥に宮内庁、その奥が陛下のお住まいと続きます。

 皇居前広場は、江戸時代、諸大名の屋敷が並んでいた場所ですが、昭和24年(西暦1949年)に国民公園として一般開放されました。昭和46年(西暦1971年)07月01日、環境庁発足に伴い厚生省から所管が移され、現在に至っています。皇居外苑の一部となります。皇居前広場の真ん中を 【内堀通り】が南北に走っています。

 人と自然が織りなす日本の風景百選【皇居・皇居前広場】

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