023.江戸東京漁業ゆかりの地(佃島/日本橋/築地)

公式引用

 徳川家康の特別な信任を受けて摂津国(現在の大阪府)佃村の漁師たちが江戸に呼ばれ、隅田川河口の干潟を造成したことに始まるのが「佃島」。

到達記録

 平成27年12月30日、平成30年08月16日他、何度か訪問しました。

 いかにも下町風な場所で、干潟を埋め立てたこの島を佃島と名付けたのはやはり故郷への思いがあったのでしょうね。現地にある住吉神社は、駐車場スペースは少ないようでした。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【江戸東京漁業ゆかりの地(佃島)】

公式引用

 漁師たちが船中の保存食として小魚を塩辛く煮付けたのが佃煮。水揚げされた魚は、幕府に献上され、残った魚が市中で売買された。その売買のために開かれた魚市の場所が「日本橋」だった。

 日本橋は全国から商人や職人の集まる町として賑わい、日本経済の中心として発展した。

 日本橋のたもとに開かれた魚市場は、佃島住民の肴店が定着して発展したものであり、江戸っ子たちの取引で賑わった。そして魚市場は花柳界や芝居小屋と並び、1日に千両が動くと言われる程の活気があった。

到達記録

 平成24年10月23日、平成27年12月30日、平成30年08月16日他、何度か訪問しました。

 日本橋(にほんばし)は、東京都中央区を流れる日本橋川(にほんばしがわ)に架かる橋です。

 現在の日本橋は、明治44年に架橋された石造2連アーチ橋です。

 明治時代を代表する石造アーチ道路橋として、平成11年に国の重要文化財指定を受けています。現地には、道路元標がありました。

 日本の道100選【中央通り】日本百名橋【日本橋】未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【江戸東京漁業ゆかりの地(日本橋)】

公式引用

 大正12年(1923)の関東大震災で日本橋は大きな被害を受けた。同年に市場の近代化と衛生的な施設を目指した「中央卸売市場法」が制定されたこともあり、日本橋の魚市場は中央卸売市場として「築地」に移転する。昭和10年に現在の築地市場が開設され、東京都民などの食を支えている。

到達記録

 平成27年12月30日、平成30年08月16日他、何度か訪問しました。

 最近は、築地市場の移転問題もあり色々と話題になっているテーマの一つですね。漁業文化財の中でも発見しやすいポイントです。

 平成30年08月16日に再訪した際は、既に豊洲へ移転済となり、寂しい築地市場が残っていました。じきに取り壊しになるでしょうから、今の間に撮影出来てよかったです。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【江戸東京漁業ゆかりの地(築地)】

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