全国百選めぐり【東京都中央区の風景】

到達記録(東京都23区)

 東京23区は、【江戸城・皇居】【東京都千代田区の風景】【東京都新宿区の風景】【東京都中央区の風景】【東京都港区の風景】【東京都渋谷区の風景】【東京都台東区の風景】、、【東京都練馬区の風景】【東京都葛飾区の風景】【東京都江東区の風景】【東京都北区の風景】【東京都江戸川区の風景】【東京都足立区の風景】と基本的に区分けしてあります。

到達記録(日本橋)

 平成24年10月23日、平成27年12月30日、令和06年12月29日他、何度か訪問しました。

 日本橋(にほんばし)は、東京都中央区を流れる日本橋川(にほんばしがわ)に架かる橋です。

 慶長08年(西暦1603年)、江戸で最初に町割りが行われた場所にあった川に架けられた木造の橋が始まりとされています。

 現在の日本橋は、明治44年(西暦1911年)に架橋された石造2連アーチ橋です。明治時代を代表する石造アーチ道路橋として、平成11年に国の重要文化財指定を受けています。

 【錦帯橋】【長崎眼鏡橋】と並べて日本三名橋とされています。

 日本百名橋【日本橋】未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【江戸東京漁業ゆかりの地(日本橋)】

到達記録(中央通り)

 平成24年10月23日、平成27年12月30日、令和06年12月29日他、何度か訪問しました。

 中央通り(ちゅうおうどおり)は、東京都港区から中央区を経由し、台東区に至る道路の通称です。

 中央通りは、【日本橋】を通って南北に走っています。日本橋は、日本の道路の起点となっています。しかし頭上に首都高速が走っていて情緒の欠片もないんですよね。

 現地日本橋の北側には、道路元標のレプリカや「日本橋魚市場発祥の地」の石碑がありました。日本橋の南側には、日本の道100選【中央通り】の顕彰碑があります。

 こちらは顕彰碑が2つ存在しており、少し南側にある銀座では【銀座通り】の顕彰碑があります。【中央通り】と【銀座通り】で??となりますが、【中央通り】が広範囲で、一部銀座界隈を指して、【銀座通り】と呼んでいるようです。ただ銀座地元民は【中央通り】と呼称しているとの話もありました。

 日本の道100選【中央通り(銀座通り)】未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【江戸東京漁業ゆかりの地(日本橋)】

到達記録(江戸東京漁業ゆかりの地・佃島)

 平成27年12月30日、平成30年08月16日他、何度か訪問しました。

 佃島(つくだじま)は、正保元年(西暦1644年)に隅田川河口の干潟を埋め立てて出来た漁村です。

 佃島には、住吉神社が鎮座しています。佃島の人々が元々住んでいた佃村(摂津国)にあった神社に由来すると言われています。

 現地には「佃島の盆踊」という盆踊り文化がありますが、江戸幕府は治安維持政策のために、「佃島の盆踊」(念仏踊り)を唯一の例外として、他で行われていた踊りを禁じた歴史があるので、必然的に、江戸時代から続く唯一の盆踊となります。

 佃島の人々が元々住んでいた佃村も未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【佃漁民ゆかりの地の碑】として選ばれています。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【江戸東京漁業ゆかりの地(佃島)】

到達記録(江戸東京漁業ゆかりの地・築地)

 平成27年12月30日、平成30年08月16日他、何度か訪問しました。

 大正12年(西暦1923年)の関東大震災で日本橋は大きな被害を受け、日本橋の魚市場は中央卸売市場として「築地」に移転しました。

 昭和10年(西暦1935年)に現在の築地市場が開設され、長らく東京の食を支えた場所です。最近は、築地市場の移転問題もあり色々と話題になっているテーマの一つですね。漁業文化財の中でも発見しやすいポイントです。

 平成30年08月16日に再訪した際は、既に豊洲へ移転済となり、寂しい築地市場が残っていました。じきに取り壊しになるでしょうから、今の間に撮影出来てよかったです。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【江戸東京漁業ゆかりの地(築地)】

到達記録(両国橋)

 令和06年12月29日に訪問しました。

 両国橋(りょうごくばし)は、東京都中央区と墨田区の間を流れる隅田川(すみだがわ)に架かる橋です。

 両国橋は、寛文元年(西暦1661年)に【千住大橋】に続いて隅田川に2番目に架橋された橋が始まりとされています。

 架橋当時、隅田川が武蔵国と下総国の国境線となっていたため、両国橋の名が付いたと言われています。昭和10年(西暦1935年)、現在の両国橋が架橋されました。

 日本百名橋【両国橋】

到達記録(常盤橋)

 令和06年12月29日に訪問しました。

 常盤橋(ときわばし)は、東京都千代田区と中央区との間を流れる日本橋川(にほんばしがわ)に架かる橋です。

 常盤橋は、天正18年(西暦1590年)に架橋されたのが始まりとされています。現行の橋は、2本現存しており、70mほど離れた場所にあります。

 一つは、上流側にある歩行者専用の石橋で明治10年(西暦1877年)に架橋された橋です。2つの橋の区別するため、石橋の方のは「般」に「石」の「磐」の字が用いられています。旧常磐橋とも。

 もう一つの常盤橋は、大正15年(西暦1926年)12月の架橋でコンクリート造りの橋です。日本百名橋としては【常盤橋】とされているので、こちらがターゲットと思われます。【日本橋】同様、橋の上を首都高速が走っています。

 日本百名橋【常盤橋】

到達記録(永代橋)

 令和06年12月29日に訪問しました。

 永代橋(えいたいばし)は、東京都中央区と江東区の間を流れる隅田川(すみだがわ)に架かる橋です。

 大正15年(西暦1926年)、関東大震災の復興事業により隅田川の9橋の再架橋が決まり、現在の永代橋が架橋されました。

 永代橋は、現存最古のアーチ橋であり、また日本初の径間長が100m越えた橋とされており、平成19年に国の重要文化財に指定されています。径間長は、橋の支柱となる橋脚の中心線から隣の橋脚の中心線までの距離を指します。

 日本百名橋【永代橋】

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