全国百選めぐり【唐津市の風景】

到達記録(唐津市)

 唐津市の百選は、全国百選めぐり【唐津市の風景】全国百選めぐり【唐津郊外の風景】に別れています。

到達記録(唐津城)

 平成30年05月30日他、何度か訪問しました。

 唐津城(からつじょう)は、佐賀県唐津市に築かれた城跡です。別名は、舞鶴城(まいづるじょう)。

 唐津城は、江戸時代に入って唐津藩の初代藩主・寺沢広高(てらざわ ひろたか)が7年かけて整備した城郭です。また寺沢広高は、防風林として【虹の松原】を整備した人でもあります。

 廃城令の後、明治10年(西暦1877年)に舞鶴公園として整備され、一般に開放されました。昭和41年(西暦1966年)に5層5階の模擬天守が造られました。別名は、舞鶴城(まいづるじょう)です。

 続・日本100名城【唐津城】

到達記録(唐津神社)

 平成30年01月03日に訪問しました。

 唐津くんち(からつくんち)は、佐賀県唐津市にある唐津神社の毎年11月に開催される祭りです。

 江戸時代から始まった秋祭りで、乾漆で製作された巨大な曳山(ひきやま)が唐津市内を巡行します。平時は、唐津神社の隣にある曳山展示場で展示されています。

 残したい日本の音風景100選【唐津くんちの曳山囃子】

到達記録(虹の松原)

 平成26年12月30日、平成30年05月30日、令和06年01月03日他、何度か訪問しました。

 虹の松原(にじのまつばら)は、佐賀県唐津市に広がる松原、防風林、防砂林です。

 虹の松原の始まりは、江戸時代、唐津藩が新田開発の一環として、現地の自然林を防風林、防砂林として整備しようとクロマツの植樹を行い、「二里の松原(にりのまつばら)」や「御松原(おんまつばら)」と呼ばれたそう。唐津藩ではこのクロマツを伐採すると死罪が適用されたほど大切にされたそう。

 明治維新以降は国有林に編入され保護されました。現在では、4.5kmの弧状の海岸線に沿ってクロマツの松林が形成されており、いつしか「虹の松原」と呼ばれるようになったとのこと。

 虹の松原には、佐賀県道347号・虹の松原線(かつての国道202号線)が走っています。約100万本のクロマツと言われる松林の中を走るのは中々気持ち良いです。日本の道100選【虹の松原】の顕彰碑は、虹の松原の東側の入り口にありました。

 虹の松原は、【三保の松原】【気比の松原】と合わせて日本三大松原とされており、国の特別名勝【虹の松原】に指定されています。現地では、ご当地唐津バーガーを売っていました。

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到達記録(東唐津久里線)

 平成26年12月30日、平成30年05月30日他、何度か訪問しました。

 東唐津久里線は、佐賀県唐津市にある街路樹道路です。

 東唐津久里線は、【虹の松原】の西側に位置しており、松浦川に沿って南北に流れる市道です。松浦河畔公園やボートレースからつなどが道路沿いにあります。

 道路の両側と中央分離帯ともに植樹されており、冬場に行ったらとても寂しい場所ですが、春だと新緑が美しいです。

 新・日本街路樹100景【東唐津久里線】

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