081.小川島鯨見張所

公式引用

 唐津市呼子町の沖合6kmに浮かぶ小川島を基地とする玄界の捕鯨開始については、文禄3年(1594年)に当時の唐津藩主寺沢志摩守が紀州・熊野灘から漁夫を雇い、突取法による捕鯨を行なわせたのが始まりという。その後、唐津藩の保護下、網による捕鯨が盛んに行なわれたが、明治維新後は藩の保護が解かれたことにより、鯨組を中心とする捕鯨は衰退していった。明治年間に小川島捕鯨株式会社が創設されたが、明治初期に始まった南氷洋での母船式捕鯨は日本各地の近海捕鯨を圧倒し、玄海の捕鯨は昭和36年(1961年)をもって終わりをつげた。

 小川島鯨見張所は、山見小屋とも呼ばれ、瓦葺木造平屋建で、梁間2.96m、桁行7.88m、建坪23.28m2である。小屋組は洋風様式を取り入れた大正初期の和小屋である。窓は沖合を往来する鯨の監視、発見のため、上釣り回転窓が南側に3門、北側に4門取り付けられ、風雨の強いときにも監視できるように設計されている。

到達記録

 平成30年05月30日に訪問しました。

 小川島(おがわしま)は、佐賀県唐津市呼子町の北の沖合に浮かぶ島です。

 小川島は、捕鯨で栄えた島で、大正時代に建てられた鯨見張所が今も保存されています。

 小川島に上陸するには、呼子港から1日5便ほど出ている定期船「そよかぜ」で20分ほど揺られることになります。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【小川島鯨見張所】

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