019.川越城

スタンプ設置場所

 川越城本丸御殿受付窓口

到達記録

 平成20年08月06日、平成22年11月27日、平成24年10月19日、令和02年01月03日他、何度か訪問しました。

 川越城(かわごえじょう)は、埼玉県川越市郭町2-13-1にある城跡です。

 川越城は、長禄元年(西暦1457年)、扇谷上杉持朝(おおぎがつ やうえすぎ もちとも)が家臣の太田資清(おおた すけきよ)、太田道灌(どうかん)父子に命じて築城した河越城が始まりとされています。河越城は、「河越夜戦」など歴史の舞台に度々登場しており、関東七名城の一つに数えられています。

 その後、豊臣秀吉の小田原征伐の際に、前田利家の攻撃を受けて落城しています。江戸時代に入って、寛永16年(西暦1639年)、松平信綱(まつだいら のぶつな)が近代城郭として整備しました。

 明治になり川越城は次第に解体され、規模を縮小してきたとのことで、遺構もほとんど残っていませんでした。現存する本丸御殿は、江戸時代末期の嘉永元年(西暦1848年)に再建されたもので、大広間が残っている本丸御殿は川越城と高知城の2つだけなのだとか。

 国の史跡【河越館跡】に指定されており、城下町は、残したい日本の音風景100選【川越の時の鐘】かおり風景100選【お菓子屋横丁】重要伝統的建造物群保存地区【川越市川越】などに選ばれています。

 関東七名城(日本100名城【金山城】【川越城】続・日本100名城【唐沢山城】【忍城】、宇都宮城、前橋城、日本名城百選【多気城】若しくは太田城と8つ名前が挙がりますが、七名城です)の一つとされています。

 日本100名城【川越城】

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