全国百選めぐり【福山の風景】

到達記録(福山城)

 平成20年07月14日、平成23年01月16日、平成24年02月18日、平成29年06月01日、令和02年12月26日他、何度か訪問しました。

 福山城(ふくやまじょう)は、広島県福山市丸之内にある城跡です。

 元和05年(西暦1619年)、福島正則が改易された後、徳川家康の従兄弟である水野勝成(みずの かつなり)が備後福山藩10万石として入封しました。

 水野家というのはあまりメジャーとは言えませんが、元々歴史の教科書に桶狭間の戦いや徳川独立の時代の頃を織田が尾張、徳川が三河とアバウトに載っていますが、実際尾張の東と三河の西は水野家の領土で、当初は家臣というより同盟相手でした。

 元和08年(西暦1622年)に福山城は完成しますが、幕府の公金が支出されており、基本的には西国の外様大名を監視する役として立派な城郭を整えさせたのだと思います。10万石の藩主としては破格の城郭と言えます。

 夜間に訪問するとイルミネーションが施されていました。国の史跡【福山城跡】です。城内には稲荷社寺めぐり【三蔵稲荷神社】が鎮座しています。

 日本100名城【福山城】日本名城百選【福山城】

到達記録(服部大池)

 令和04年06月02日他、何度か訪問しました。

 服部大池(はっとりおおいけ)は、広島県福山市駅家町にあるため池です。

 服部大池は、寛永20年(西暦1643年)、福山藩初代藩主・水野勝成が築造したため池と案内がありました。

 ため池百選【服部大池】

到達記録(福山市鞆町)

 平成23年04月01日、令和06年12月11日他、何度か訪問しました。

 福山市鞆町(ともちょう)地区は、広島県福山市鞆町にある伝統的建造物群保存地区です。

 福山市鞆町地区は、瀬戸内海に突き出た沼隈半島南東部に位置しており、古くから潮待ちの港として発展した地区です。かつて江戸時代の備後福山藩の領内では福山城の城下に次いで規模大きな港町だったと記録が残っています。

 一番の特徴は、隣家同士が外壁を接して建っています。中には外壁を共有している建物もあり、かつては人口過密地だったことが建築からも伺えます。域江戸時代の町割りそのままの為、道路は非常に狭いですが、私が訪問した時は意外と交通量が多くて驚きました。

 日本遺産【瀬戸の夕凪が包む 国内随一の近世港町~セピア色の港町に日常が溶け込む鞆の浦~】にも選ばれています。

 重要伝統的建造物群保存地区【福山市鞆町】人と自然が織りなす日本の風景百選【備後鞆の浦の港町】

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