162.出石城・有子山城
スタンプ設置場所 | |
いずし観光センター(8:30〜17:30)。 |
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到達記録(出石城) | |
平成25年02月17日、平成30年04月19日他、何度か訪問しました。 出石城(いずしじょう)は、兵庫県豊岡市出石にある城跡です。 出石城は、慶長09年(西暦1604年)、小出吉英(こいで よしふさ/よしひさ)により有子山城の麓に出石城を築城しました。 出石城は、小出氏、松平氏、仙石氏と城主を代えながら、宝永03年(西暦1706年)に仙石氏が入城して以来、明治維新まで仙石氏による統治が続きました。 現在は、出石城址公園として整備され、石垣、土塁が一部残っています。公園内には展望台もあり、周囲の景色を楽しむことができます。 城下には、重要伝統的建造物群保存地区【豊岡市出石】が広がっています。 続・日本100名城【出石城・有子山城】。 |
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到達記録(有子山城) | |
令和06年に訪問しました。 有子山城(ありこやまじょう)は、兵庫県豊岡市出石にある城跡です。 山名氏は、室町幕府の大大名で、一族で11国の守護職を持ち「六分一殿」とまで呼ばれる権勢を誇っていました。その本拠地が、此隅山城(このすみやまじょう)です。 永禄12年(西暦1569年)、織田信長の家臣・羽柴秀吉によって此隅山城が落城し、天正02年(西暦1574年)、但馬守護・山名祐豊(やまな すけとよ)が有子山の山頂に山城を築き、本拠地を移したのが有子山城です。 天正08年(西暦1580年)、山名氏は、織田信長と敵対する毛利輝元に付いて再度敵対した為、再び羽柴秀吉によって攻め込まれ有子山城は落城し、但馬山名氏は滅亡しました。 有子山城は、此隅山城と合わせて、山名氏城跡として国の史跡【山名氏城跡 此隅山城跡 有子山城跡】に登録されています。城下には、重要伝統的建造物群保存地区【豊岡市出石】が広がっています。 続・日本100名城【出石城・有子山城】。 |
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