全国百選めぐり【大津市の百選】

到達記録(比叡山延暦寺)

 平成24年09月27日、平成26年10月29日他、何度か訪問しました。

 比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)は、京都市と滋賀県大津市に跨る比叡山全域を境内とする天台宗の総本山寺院です。

 現地では、東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)の3つの地域に分類されており、その中心は、東塔にある根本中堂(こんぽんちゅうどう)です。

 延暦寺は、平安時代初期に伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄によって開山され、京都の北東(鬼門)を守る寺院として位置付けられています。平成06年に世界文化遺産【古都京都の文化財】として認定されています。

 現在の仏教は平和的な印象を持ちますが、当時の延暦寺は、平安時代から武装しており、朝廷に政治的な介入を行ったり、園城寺への攻撃など繰り返し焼き討ちをかけるなど問答無用であり、祇園感神院(今の八坂神社)や北野神社を傘下に収めたりとかなりの軍事力と領土、そして政治的な影響力を持っていました。

 元亀02年(西暦1571年)、織田信長によって焼き討ちされ、現在の根本中堂をはじめとする建物は焼失しました。現存の建築物は、寛永19年(西暦1642年)に徳川家光によって再建されたものです。

 延暦07年(西暦788年)以降、不滅の法灯(ふめつのほうとう)が続いており、信長の焼き討ちで不滅の法灯も消えましたが、天文12年(西暦1543年)、【山寺・立石寺】に分灯していた炎を、天正17年(西暦1589年)に比叡山に再分灯することで現代まで続いています。

 数々の札所に選定されており、神仏霊場150番札所【延暦寺】西国四十九薬師霊場49番札所【根本中堂】東海四十九薬師霊場特別札所【延暦寺】近畿三十六不動尊霊場26番札所【無動寺】西国三十三観音霊場特別札所【延暦寺】新西国三十三観音霊場18番札所【横川中堂】法然上人二十五霊場特別霊場【青龍寺】比叡山めぐり【延暦寺】などがあります。

 かおり風景100選【比叡山延暦寺の杉と香】人と自然が織りなす日本の風景百選【京都を護る霊峰・比叡山】

到達記録(日吉大社)

 平成24年02月22日、平成26年09月17日、令和05年12月21日他、何度か訪問しました。

 日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社です。近江国二宮【日吉大社】とされています。

 日吉大社の鳥居は、その上部に比叡山延暦寺を示す山形をのせる独自の形式で「山王鳥居」と呼ばれています。

 日吉大社は、明治元年(西暦1868年)に神仏分離令が出るまで、事実上、比叡山の強い影響下にありました。信長の焼き討ちでは比叡山同様、境内の殆どを焼失しています。

 日吉大社の境内を流れる大宮川(おおみやがわ)に架かる大宮橋(おおみやばし)は、豊臣秀吉が寄進したと伝えられています。大宮橋は、西本宮へ向かう参道にかかる花崗岩製の石橋です。

 日本百名橋【大宮橋】

到達記録(門前町・坂本)

 平成24年09月27日、平成31年04月15日他、何度か訪問しました。

 大津市坂本(さかもと)地区は、滋賀県大津市坂本にある伝統的建造物群保存地区です。

 大津市坂本地区は、比叡山の東山麓にあり、琵琶湖の西湖岸に位置しています。山側の上坂本が【延暦寺】【日吉大社】の門前町として、湖畔の下坂本が荷揚げ港として発展し、近江国最大の都市として繁栄しました。

 戦国時代後期には、明智光秀が坂本城を築城しています。里坊(比叡山で修行を続けていた僧が高齢となると与えられる隠居所)と呼ばれる寺院が並び、穴太衆積みの石垣の他、石垣や生垣で仕切られている町並みです。

 重要伝統的建造物群保存地区【大津市坂本】

到達記録(三井の晩鐘)

 平成25年11月13日、平成30年05月04日他、何度か訪問しました。

 園城寺(おんじょうじ)、通称三井寺は、滋賀県大津市園城寺町246にある天台寺門宗の総本山寺院です。

 日本の古典文学で、何も注釈を付けず「寺」と書かれていれば、この園城寺を指すくらい、歴史のある寺院です。三井の晩鐘は、三井寺の金堂近くにあり、有料で衝く事が出来ます。近江八景の一つ【三井晩鐘】にも選ばれています。

 園城寺の本尊は弥勒菩薩です。天下に名高い日本三大不動尊【黄不動】を所有しています。現地では、紅葉のシーズン、若葉のシーズンともに美しくまた期間限定の御朱印や特別公開などを定期的に実施しており、商売上手な一面も見て取れます。

 神仏霊場147番札所【園城寺】西国四十九薬師霊場48番札所【水観寺】西国三十三観音霊場14番札所【観音堂】近江西国三十三観音霊場5番札所【観音堂】湖国十一面観音霊場1番札所【微妙寺】三井寺めぐり【園城寺】など数多の霊場の札所になっています。

 日本の音風景100選【三井の晩鐘】

到達記録(瀬田の唐橋)

 平成24年02月22日、平成24年06月06日、平成30年05月04日、令和05年12月21日他、何度か訪問しました。

 瀬田の唐橋(せたのからはし)は、滋賀県大津市を流れる瀬田川(せたがわ)に架かる橋です。

 瀬田の唐橋は、都である京都の東の玄関口として、交通の要衝かつ京都防衛上の重要地で、古来「唐橋を制する者は天下を制す」と言われました。武田信玄は「瀬田に(武田の)旗を立てよ」と言い残したとか。

 瀬田川は、京都の水瓶である琵琶湖から流れ出す唯一の川となります。この川が宇治川となり、木津川、桂川と合流し【淀川】となり大阪湾に流れ着きます。日本の道100選【唐橋】の顕彰碑は、唐橋の間にある小島に設置されています。

 日本の道100選【唐橋】日本百名橋【瀬田の唐橋】日本の橋100選【瀬田の唐橋】

到達記録(大津草津線)

 平成25年01月05日、平成30年05月04日他、何度か訪問しました。

 琵琶湖岸道路は、滋賀県大津市から草津市に至る滋賀県道18号大津草津線のことです。

 琵琶湖岸道路は、それなりに交通量が多い道路です。

 日本の道100選【琵琶湖岸道路】の顕彰碑は、横断歩道がなく、車道横断をしないといけない場所に設置されており、国土交通省(当時は建設省)がバックアップした日本の道100選とは思えません。

 日本の道100選【琵琶湖岸道路】

到達記録(石山寺)

 平成23年11月27日、平成25年11月13日、令和05年09月12日他、何度か訪問しました。

 石山寺(いしやまでら)硅灰石(けいかいせき)は、石山寺の境内にある岩塊です。

 石山寺は、滋賀県大津市石山寺1-1-1にある東寺真言宗の寺院で、神仏霊場146番札所【石山寺】西国三十三観音霊場13番札所【石山寺】近江西国三十三観音霊場3番札所【石山寺】などの札所になっています。また近江八景【石山秋月】としても知られている古刹です。

 硅灰石とは?石灰岩やチャートの層に、花崗岩などの火成岩が入り込んだ影響によって出来た、ケイ酸カルシウムを主成分とする鉱物・岩石です。「硅」灰石と書いてあったり、「珪」灰石と書いてあったりと表現がマチマチですが、石山寺では硅灰石と案内がありました。国の天然記念物【石山寺硅灰石】です。

 日本の地質百選【石山寺硅灰石】

到達記録(大津SA)

 平成27年12月09日、令和07年05月11日他、何度か訪問しました。

 大津サービスエリアは、滋賀県大津市朝日が丘2丁目8-1に位置している名神高速道路上のサービスエリアです。

 大津サービスエリアは、昭和38年(西暦1963年)、名神高速道路の部分開通と同時に設置された日本初のサービスエリアなんだとか。

 上り線にモニュメント「メビウスの輪」と顕彰碑が設置されていますが、上下線ともに恋人の聖地となっています。下り線もロケーションは上々です。

 恋人の聖地【大津サービスエリア】

到達記録(膳所城跡)

 平成30年05月04日他、何度か訪問しました。

 膳所城(ぜぜじょう)は、滋賀県大津市本丸町にある城跡です。

 膳所城は、慶長06年(西暦1601年)、天下人になった徳川家康が東海道の押さえとして、天下普請で整備させた城郭で、陸続きの部分に三の丸があり、二の丸・北の丸・本丸が琵琶湖に突出する梯郭式の縄張りの城郭でした。諏訪湖の【高島城】、宍道湖の【松江城】と並んで三大湖城の一つとされています。

 現在は、本丸跡まで陸続きとなっており膳所城跡公園として整備されています。二の丸跡は膳所浄水場になるなど、城跡としての遺構は石塁・石垣跡があるくらいで保存状態は悪いです。

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