全国百選めぐり【篠山城と城下町】

到達記録(篠山城)

 平成20年07月19日、平成22年10月03日、平成25年10月03日、平成30年04月18日他、何度か訪問しました。

 篠山城(ささやまじょう)は、兵庫県丹波篠山市北新町にある城跡です。

 慶長14年(西暦1609年)、徳川家康の天下普請によって築城されました。縄張は藤堂高虎、普請総奉行を池田輝政が努めました。

 山陰道の要衝である丹波篠山盆地に城を築くことによって、大阪の豊臣氏をはじめとする西国諸大名の抑えとするのが目的であったとされています。現地では、見事な高石垣が城郭を守っており、その外を水堀で囲っています。「城郭が強固過ぎる」という理由で天守は築かれなかったエピソードも頷ける威容が残っています。

 徳川家康の落胤との説もある松平康重(まつだいら やすしげ)が初代城主を勤め、その後、別系統の松平家が城主を務めたのち、青山家の時代に明治維新を迎えました。平成12年04月には二の丸御殿の中心的建物だった大書院(おおしょいん)が復元されています。

 日本100名城【篠山城】日本名城百選【篠山城】

到達記録(城下町・篠山)

 平成25年10月03日、平成30年04月18日他、何度か訪問しました。

 篠山市篠山(ささやま)地区は、兵庫県篠山市篠山にある伝統的建造物群保存地区です。篠山市篠山地区は、【篠山城】の城下町として発展した地区です。城下町としての武家屋敷群と商家町がセットで重伝建の指定を受けています。

 篠山城の外堀西側には御徒歩町(おかちまち)通り沿いに武家屋敷群が広がっており、篠山城東側には、街道沿いに商人町人の住宅街が広がっており、江戸時代末期から明治時代にかけての妻入玄関の邸宅が並んでいます。

 どちらが立派な邸宅だったか一目でわかります。士農工商と身分制があったとかなかったとか最近では議論がありますが、実際に名はあっても実の無かった侍と、名はなくとも実を持っていた商人という構造が想像できます。

 重要伝統的建造物群保存地区【篠山市篠山】

到達記録(宿場町・福住宿)

 平成27年01月05日、令和02年04月21日他、何度か訪問しました。

 篠山市福住(ふくすみ)地区は、兵庫県篠山市福住にある伝統的建造物群保存地区です。篠山市福住地区は、丹波篠山から京都に向かう街道・西京街道の宿場町として発展した地区となります。

 指定範囲は、西京街道沿いの福住、川原、安口、西野々の4集落から構成されていますが、福住地区以外は、福住の宿場町としての機能を補完する農村集落だったと現地解説。現地では、妻入玄関の瓦葺き屋根の邸宅が並んでいますが、特筆すべき点は少ないかも。

 重要伝統的建造物群保存地区【篠山市福住】

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