094.油津の港物語

公式引用

 本施設は広渡川河口と油津港を結ぶ全長約900m、幅22m〜36mの人工運河であり、江戸時代(1686年)に当時の飫肥藩藩主伊東祐実の命により開削され、藩財政を支える貴重な資源であった飫肥杉を、広渡川から油津港に搬入するために利用されていた。

 その後、飫肥杉の生産量の増加に伴い昭和50年代に至るまで、堀川運河は貯木場として利用されるとともに、現在も小型船の避難場所として活用されており、戦前に東洋一のマグロ基地として油津港が繁栄した際も、その繁栄に大きく寄与してきたところである。

 このように、堀川運河は油津港及び油津地区の繁栄に密接に関係しており、地元漁民の誇りとして、開削以降現在まで適切に保存・管理されている。

 堀川運河を通って搬出されてきた飫肥杉は弁甲材といわれ、浮力があって曲げに強く、油分も多いため、漁船の造船材として広く使用されていた。堀川運河関連施設に「堀川運河護岸」、「広渡川石積堤」、「堀川橋」、「花峯橋」の4点の登録文化財がある。

到達記録(堀川運河)

 平成26年08月14日、平成30年06月16日他、何度か訪問しました。

 油津(あぶらつ)は、宮崎県日南市にある港町です。

 堀川運河(ほりかわうんが)は、宮崎県日南市にある広渡川と油津港とを結ぶ運河です。

 江戸時代初期に木材を運搬するために開削されて以来、流通の要として活躍してきました。現地には、無料駐車場があり、ゆっくり散策することが出来ます。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【油津の港物語】

公式引用

 本施設は主屋が昭和7年に建造された木造3階建銅板張りの金物屋で、倉庫は大正7年に建築されたレンガ造3階建の建築物であり、主屋、倉庫ともにほぼ建築当時の原型をとどめており、油津地区においてひときわ目立つ存在である。本施設は創業以来現在まで、金物、漁具、船具等を取扱い、漁村地域の生活と密接な関係があり、隣接する油津赤レンガ館とともに大正末期から昭和16年頃までのマグロ景気で栄えた当時の風情を現在に残す貴重な施設である。

 建築当時、油津地区は、「東洋一のマグロ基地」といわれ繁栄し、高知、和歌山を中心として全国から集まるマグロ漁船に各種の漁具を販売していた。

 ※平成10年に主屋、倉庫ともに文化庁の有形文化財に登録されている。

到達記録(杉村金物本店主家・倉庫)

 平成26年08月14日、平成30年06月16日他、何度か訪問しました。

 杉村金物本店は、宮崎県日南市油津1丁目6-12にある建物です。

 現地は、油津港に通じる国道220号線に面した角地にある為、発見は容易です。

 昭和07年(西暦1932年)に完成した3階建ての木造建築で洋風な雰囲気もあります。1階が店舗で2階と3階が住居になっているようです。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【油津の港物語】

公式引用

 チョロ船は大正末期から昭和16年頃まで東洋一のマグロ基地として栄えた油津港において、昭和40年頃までマグロ、シイラ漁を主体に活躍した帆走木造船であり、全長約8m、幅約2.4mの構造で、船材として軽く弾力に富み、油分が多く水に強い地元特産の飫肥杉を使用しており、大小2本のマストを有する特徴を持つ。また、当時は早朝から出航していたため、船首部分にはたたみ一畳ほどの空間があり、横になって休めるようになっていた。

 平成13年04月に「チョロ船を復元する会」によって約50年ぶりに復元され、また同年11月には2隻目のチョロ船が「日南市産業活性化協議会」によって復元された。

到達記録(チョロ船)

 平成26年08月14日、平成30年06月16日他、何度か訪問しました。

 チョロ船は、宮崎県日南市油津にある伝統的な木造帆船です。

 チョロ船は、昭和の中期頃まで沿岸漁業で活躍したそうで、全盛期には50艘のチョロ船が堀川運河を往来していたのだとか。現在のチョロ船は、地元有志により復元されたものです。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【油津の港物語】

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