条約灯台13基(江戸条約灯台8基・大坂条約灯台5基) 

江戸条約01
野島埼灯台
千葉県南房総市
令和元年12月30日

江戸条約02
観音埼灯台
神奈川県横須賀市
令和元年11月06日

江戸条約03
剱埼灯台
神奈川県三浦市
 

江戸条約04
神子元島灯台
静岡県下田市
令和07年02月06日

江戸条約05
潮岬灯台
和歌山県串本町
令和元年09月26日

江戸条約06
樫野埼灯台
和歌山県串本町
 

江戸条約07
伊王島灯台
長崎県長崎市
 

江戸条約08
佐多岬灯台
鹿児島県南大隅町
平成30年12月30日

大坂条約01
友ヶ島灯台
和歌山県和歌山市
平成30年05月18日

大坂条約02
和田岬灯台
兵庫県神戸市
 

大坂条約03
江埼灯台
兵庫県淡路市
 

大坂条約04
六連島灯台
山口県下関市
 

大坂条約05
部埼灯台
福岡県北九州市
平成30年05月28日
 条約灯台13基(江戸条約灯台8基・大坂条約灯台5基) 

江戸条約灯台8基

 元治元年(西暦1864年)に長州藩の攘夷決行に対する報復として実施された英仏蘭米四国連合艦隊による馬関戦争(ばかんせんそう/下関戦争)で長州藩はコテンパンにされました。欧米列強との力の差を見せつけられた幕府は、賠償金支払いの義務を認めさせられました。

 江戸条約(改税約書)は、江戸時代末期の慶応02年(西暦1866年)に幕府と米、英、仏、蘭と結んだ条約で、欧米列強に有利な税率への変更と貿易制限の撤廃が主体の条約ですが、付随して、日本側に8基の灯台設置を義務付ける内容の条約でした。

大坂条約灯台5基

 大坂条約(大坂約定)は、慶応03年(西暦1867年)に英、仏が兵庫港の早期開港を幕府に迫り、その兵庫港へのルートの安全確保のために5カ所の灯台設置を要求し、国力・武力で大きく劣る幕府は受け入れざるを得ませんでした。その後、明治政府が条約を引継ぎ、13基の条約灯台が設置されていくことになります。

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