全国百選めぐり【掛川の風景】
到達記録(掛川城) | |
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平成20年08月09日、平成22年11月24日、平成30年08月17日、令和02年11月11日他、何度か訪問しました。 掛川城(かけがわじょう)は、静岡県掛川市掛川にある城跡です。 室町時代の文明年間(西暦1469〜87年)、駿河国守護・今川義忠(いまがわ よしただ)が、朝比奈泰煕(あさひな やすひろ)に命じて築城したのが始まりとされています。 戦国時代、今川氏から奪取した徳川氏と武田氏で激しく争われた城です。戦国時代末期には、豊臣秀吉の直臣であった山内一豊(やまうち かずとよ)が51000石で掛川に入り、山内一豊は掛川城の大幅な拡張を実施しました。山内一豊は関ヶ原の戦いの功績で土佐一国に加増転封となり、その後は譜代大名が入れ替わり入封しました。 江戸時代末期の安政元年(西暦1854年)、安政東海地震(あんせいとうかいじしん)で天守を含む大半の建物が倒壊しました。現在、平成06年(西暦1994年)に木造で再建された天守閣があります。木造での復元天守はこちらが日本初です。 日本100名城【掛川城】。 |
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到達記録(高天神城) | |
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平成30年07月31日他、何度か訪問しました。 高天神城(たかてんじんじょう)は、静岡県掛川市にある城跡です。 高天神城は、正確な築城者、築城年などはわかっていません。戦国時代、今川氏の家臣であった福島正成(ふくしま まさしげ)が高天神城の城主となったとの伝記から歴史の表舞台に登場します。 今川氏が没落すると、徳川氏の影響下に入ります。武田家との攻城戦の記録が多数残っており、武田勝頼によって落城させられています。その後、徳川家が奪還し、廃城となっています。国の史跡【高天神城跡】となっています。 それほど大規模な城域ではないものの歴史の舞台に登場する場所なのでそれなりに楽しめる土塁と曲輪の城跡です。 続・日本100名城【高天神城】。 |
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到達記録(横須賀城) | |
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令和元年12月29日に訪問しました。 横須賀城(よこすかじょう)は、静岡県掛川市西大渕にある城跡です。 横須賀城は、天正06年(西暦1578年)、武田家が支配する【高天神城】に対する付城として、徳川家康が大須賀康高(おおすが やすたか)に築城させた城郭です。 天竜川より運ばれた玉石を石垣に使っているのが特徴的で印象的です。甲冑着て玉石垣を登ろうとすると滑り落ちてしまいそうだ。国の史跡【横須賀城】に指定されています。 全国百選めぐり【掛川の風景】。 |
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