全国百選めぐり【小田原城と石垣山城】
到達記録(小田原城・本丸) | |
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平成20年08月08日、平成23年01月03日、令和元年11月05日、令和07年01月04日他、何度か訪問しました。 小田原城(おだわらじょう)は、神奈川県小田原市にある城跡です。 小田原城は、後北条氏の本拠地として知られています。江戸時代に、大久保氏、稲葉氏が城主となり、城郭の近代化が行われたと言われています。 小田原藩は「入り鉄砲出女」と言われた箱根の関所を幕府から預かる立場でした。江戸への玄関口となる立地で、重要視された事が伺えます。 大正12年(西暦1923年)09月の関東大震災によって石垣が崩壊し、江戸時代の姿は失われたのだとか。 現在の天守は昭和35年に再建された鉄筋コンクリート構造となっています。小田原城址公園として整備されており、天守からは相模湾が見下ろせます。小田原征伐で対峙した【石垣山城】も見えます。 日本100名城【小田原城】。日本名城百選【小田原城】。 |
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到達記録(小田原城・総構え) | |
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令和04年12月28日他、何度か訪問しました。 小田原城(おだわらじょう)は、神奈川県小田原市にある城跡です。 小田原城は、後北条氏の本拠地として知られています。 「総構え」と言われる土塁や堀を約9kmに渡って張り巡らし、城下町を含む形で防衛しようとする構造です。 城内で田園を維持出来れば兵糧の心配も少なく、内政家として知られる北条氏らしいスタイルですね。北条氏は税率も他国に比べ低く、農民の評判も良かったと言われています。 上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えた城郭として名高いですが、豊臣秀吉による小田原征伐により北条氏は滅亡しました。 日本100名城【小田原城】。日本名城百選【小田原城】。 |
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到達記録(石垣山城) | |
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平成30年08月16日に訪問しました。 石垣山城(いしがきやまじょう)は、神奈川県小田原市早川にある城跡です。 石垣山城は、天正18年(西暦1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に【小田原城】の西3kmにある笠懸山の山頂に構築した城郭です。 小田原城から見えない場所で築城、完成させた上で周辺の木を伐採して、まるで一夜で完成したように見せたという逸話が残っています。 現地は、石垣山一夜城歴史公園として整備されています。別名、石垣山一夜城です。国の史跡【石垣山】に指定されています。 続・日本100名城【石垣山城】。日本名城百選【石垣山一夜城】。 |
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