全国百選めぐり【五稜郭と四稜郭】
到達記録(函館市) | ||
函館市は百選が豊富にあるため、全国百選めぐり【五稜郭と四稜郭】と全国百選めぐり【函館の風景】に別けてあります。 |
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到達記録(五稜郭) | ||
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平成20年07月28日、平成22年09月14日、平成24年08月29日、平成30年7月07日他、何度か訪問しました。 五稜郭(ごりょうかく)は、北海道函館市にある館跡、城跡です。 五稜郭は、元々江戸幕府の函館奉行所の移転先として建築されましたが、大政奉還が起こり、旧幕府軍が占領し、維新政府に最後の抵抗をした城郭になりました。 五稜郭は、星形要塞(ほしがたようさい)若しくは稜堡式(りょうほしき)城郭と呼ばれる形式の城郭で、三角形の突端部である稜堡から十字砲火出来るようになっています。 元々は、外国勢力に対する防御機能として整備されましたが、半月堡(五稜郭タワー側にある▽の曲輪)は1ヶ所のみですが、これは外国勢力に対する脅威が低下したため予算削減の結果となり、当初の計画では、半月堡は5つ設置される予定でした。 大正時代に五稜郭公園として一般公開され、現在、春は桜の名所、冬は堀の周りをイルミネーションが彩り、有数の観光地として知られています。 五稜郭の中心には復元された箱館奉行所があります。国の特別史跡【五稜郭跡】、北海道遺産【五稜郭と箱館戦争の遺構】として認定されています。 日本100名城【五稜郭】。日本名城百選【五稜郭】。 |
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到達記録(五稜郭タワー) | ||
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平成20年09月14日、平成24年08月29日、平成30年7月07日他、何度か訪問しました。 五稜郭タワーは、北海道函館市五稜郭町43-9にある展望塔です。 五稜郭タワーは、平成18年03月31日完成で高さは107mあります。入場料は900円でした。【五稜郭】を上空から楽しめます。 現在の五稜郭タワーは2代目で行政関係ではなく民間での営業をしている展望塔です。初代は昭和39年12月01日完成の高さ60mの展望塔でした。昭和39年は、五稜郭築城100年目に当たります。 20タワーズ【五稜郭タワー】。 |
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到達記録(四稜郭) | ||
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平成30年7月07日に訪問しました。 四稜郭(よんりょうかく)は、北海道函館市陣川町59にある館跡、城跡です。 明治元年(西暦1868年10月に五稜郭を占領した旧幕府軍は、明治政府軍に対抗する防御陣地を構築していきますが、その中でも北海道東照宮を守るために洋式の台場を五稜郭の北方約3kmの位置に築城しました。それがこの四稜郭です。 しかし、明治02年(西暦1869年)05月11日には、明治政府軍による函館総攻撃が始まり、長州藩兵が四稜郭と五稜郭の間に位置する権現台場を占領したため退却しました。同年05月18日に榎本武揚(えのもと たけあき)が降伏、函館戦争は終結しました。この榎本さんは、なかなか優秀な人で、明治08年(西暦1875年)には明治政府の全権大使として樺太・千島交換条約を締結したり、逓信、文部、外務大臣を歴任するなどしました。かつての明治政府は政敵であっても優秀なら取り込んで働かせるお手本のような政治が体現していたことがわかります。 全国百選めぐり【五稜郭と四稜郭】。 |
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