271.北陸遠征その12:北沢浮選鉱場跡


 平成27年08月14日08時からスタートです。


 佐渡国分寺(さどこくぶんじ)を訪ねます。

 佐渡国分寺は、佐渡氏国分寺113番地にある真言宗の寺院です。


 立派な仁王像が迎えてくれます。


 佐渡国分寺は、寺伝によると、創建は天平13年(西暦741年)に聖武天皇(第45代陛下)の勅願によると伝えられており、佐渡最古の寺院とされています。


 佐渡国分寺で佐渡八十八ヶ所霊場の御朱印帳を購入しました。

 佐渡国分寺を後にして、2番札所西報寺を目指して走ったつもりがあれれ?迷子だ。

 私が事前に用意してきた資料には住所や電話番号が載っていたので安心していたのですが、カーナビ検索でも出てこないので順打ちは早々に諦めました。

 どの道この旅の行程で満願は無理だと思っていたので、出会えた寺院だけお参りして行こうと方針転換しました。


 佐渡八十八ヶ所霊場の案内標識を発見して、従って行くと風車がお出迎えしてくれました。

 車を置いて、坂を上ります。


 43番札所の多聞寺(たもんじ)です。ビックリするくらい札所が飛んだ。

 多聞寺は、佐渡市平清水1003にある真言宗豊山派の寺院です。

 多聞寺は、寺伝によると、大同年間(西暦806〜810年)に創立されたと伝わります。当初は天台宗で平泉寺の寺号だったそう。上杉家の佐渡攻めでは、上杉家は多聞寺を本陣として利用したと伝えられています。


 続けて44番札所の真田寺(しんでんじ)を発見です。

 真田寺は、佐渡市真光寺404にある真言宗の寺院です。

 真田寺は、寺伝によると、弘仁02年(西暦811年)に創建されたと伝わります。かつては田中坊と呼ばれていたようで、昭和17年(西暦1942年)に真田寺と改称されて今日に至ります。


 海岸線沿いにルートを移して北上を始めると、10番札所の曼荼羅寺(まんだらじ)を発見です。

 曼荼羅寺は、新潟県佐渡市沢根1776にある真言宗の寺院です。

 曼荼羅寺は、寺伝によると、応永元年(西暦1394年)に沢根城主・本間摂津守の祈願所として創建されたと伝わります。


 何故か、11番札所を飛ばして12番札所の定福寺(じょうふくじ)に到着です。

 やっぱりここはちゃんとした地図を持っていないと見落としてしまうようだ。最近は、至る所に案内表示のある四国や秩父などの大型巡礼をしていたので楽を覚えてしまったようです。

 定福寺は、佐渡市橘178にある真言宗の寺院です。

 定福寺は、寺伝によると、保安03年(西暦1122年)の建立、天文19年(西暦1550年)に現在地へ移転、再建されたと伝わります。


 名勝・長手岬です。


 奥に小さい灯台が見えます。夕陽がとても綺麗なスポットなんだって。


 お土産を探して七浦海岸の施設に立ち寄りました。

 大きめの夫婦岩がありました。


 13番札所の安養寺(あんようじ)を参拝です。

 安養寺は、佐渡市相川大浦788にある真言宗の寺院です。

 安養寺の本尊である阿弥陀如来は、四国霊所の本尊が移転のため奥州へ向かう折佐渡沖で難破し、浜辺に漂着したところを名主が拾い、お堂に移したものと伝わります。本尊が漂着したところは弥陀浜と呼ばれています。

 お盆シーズンなので、酒盛りが行われておりました。地元民から「飲んでけ」と声をかけてもらうも車移動なので・・・。


 14番札所の観音寺(かんのんじ)です。

 観音寺は、佐渡市相川鹿伏407にある真言宗の寺院です。

 観音寺は、慶長12年(西暦1607年)に祐性法印(ゆうしょうほういん)によって開山されたと伝わります。小倉大納言・藤原実起とその長男・公連のお墓があります。


 旧相川鉱山の北沢浮選鉱場(きたざわふゆうせんこうば)跡に到着です。

 北沢浮選鉱場跡は、新潟県佐渡市相川北沢町3-2にある佐渡金山(相川金銀山)の選鉱所跡地です。

 写真は、北沢火力発電所跡です。

 北沢火力発電所跡は、明治40年(西暦1907年)建築の佐渡島初の火力発電所として活躍しましたが、今は資料館になっていました。この建物のみ入れます。


 かなりの規模の遺跡です。

 簡単に言えば、佐渡金山で採掘された鉱石を分ける施設ですね。


 植物に覆われて、独特の雰囲気を醸し出しています。


 長崎の軍艦島を緑で覆わせたようです。一部でラピュタの城に例えられることがあるのも頷けます。


 製材及び雑作業場跡 50mシックナーと案内板の解説です。

 シックナーとは、液体中の固形物を重力で沈降・濃縮させて分離するための装置で、日本語だと「沈降濃縮装置」と呼称します。


 鋳造工場跡です。


 少し山を登って坑道を体験します。


 宗太夫坑(江戸時代コース)を選びました。

 各地に蝋人形が配置されています。


 江戸時代、無職で居住のない者つまりホームレスを佐渡に運び、仕事を与えて賃金を支払っていたとか。

 今の真面目に働いている人が損をしている気分になる理不尽な生活保護制度よりよっぽど真っ当な政策ではないかと、感心しました。


 坑道を抜けると資料館があります。


 人が沢山集まるってことはそれだけ豊かだったってことなのか、それとも娯楽に飢えていたということだろうか。


 黄金掴みです。

 私のような腕の太い人間では持ち上げられても手が引っかかって引っこ抜けないです。

 指で引っこ抜かないといけないのでなかなか難しかったです。成功者も多いようで、このようなイベントはとても面白いですね。


 こちらが佐渡のシンボルになっている道遊の割戸です。

 坑道を掘りすぎたから崩れちゃったんだね。そりゃそうだね。

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