187.日本6周目の旅その76:四国遍路その1


 平成25年12月28日です。

 早朝より出立し、午前中には四国上陸をしています。

 ずっと連れが四国八十八ヶ所霊場の巡礼をしてがっていたので、二年間一緒に居てくれたプレゼントに年末年始の休暇を利用して一気に周ろうと企んでいます。


 四国八十八ヶ所霊場とは、四国にある八十八ヶ所の弘法大師・空海ゆかりの寺院を巡拝することです。また【四国別格二十霊場】を加え百八ヶ所の寺院を巡拝する方も多いです。

 伝承では、弘法大師・空海が42歳の厄年の弘仁06年(西暦815年)に四国霊場を開創したとされていますが、実際は室町時代の西暦1400年頃に定着したと考えられています。

 1番札所で御朱印帳を購入して順打ちで巡ろうと思います。


 四国八十八ヶ所霊場1番札所【霊山寺】を参拝です。

 霊山寺は、徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126番地にある高野山真言宗の寺院です。

 霊山寺は、寺伝によれば、天平年間(西暦729〜749年)に聖武天皇(第45代陛下)の勅願により、行基が開いたと伝えられています。天正10年(西暦1582)、長宗我部元親の兵火により堂塔は全焼したと伝わります。


 四国八十八ヶ所霊場2番札所【極楽寺】を参拝です。

 極楽寺は、徳島県鳴門市大麻町檜字段の上12にある高野山真言宗の寺院です。

 極楽寺は、寺伝によれば、奈良時代に行基菩薩によって開かれたと伝えられています。弘法大師・空海がこの地で修行し、阿弥陀如来が現れたことから、その姿を彫刻して本尊としたとされています。


 四国八十八ヶ所霊場3番札所【金泉寺】を参拝です。

 金泉寺は、徳島県板野郡板野町大字亀山下66にある高野山真言宗の寺院です。

 金泉寺は、寺伝によれば、天平年間(西暦729〜749年)に聖武天皇(第45代陛下)の勅願により、行基が「金光明寺」として開いたのが始まりとされています。弘法大師・空海が掘った井戸から湧き出た水は霊水で「長寿をもたらす黄金の井戸」とされ、寺名の「金光明寺」を改め「金泉寺」としたと伝わります。。


 四国八十八ヶ所霊場4番札所【大日寺】を参拝です。

 大日寺は、徳島県板野郡板野町黒谷字居内5にある東寺真言宗の寺院です。

 大日寺は、寺伝によれば、弘仁06年(西暦815年)に弘法大師・空海が一刀三礼をして1寸8分(約5.5p)の大日如来像を彫造したことを由来として大日寺と称するようになったと伝わります。


 四国八十八ヶ所霊場5番札所【地蔵寺】を参拝です。

 地蔵寺は、徳島県板野郡板野町羅漢字林東5にある真言宗御室派の寺院です。

 地蔵寺は、寺伝によれば、弘仁12年(西暦821年)、嵯峨天皇(第52代陛下)の勅願により弘法大師・空海が開創したと伝えられています。空海が1寸8分(約5.5p)の勝軍地蔵菩薩を彫り、本尊に安置したと伝えられています。


 四国別格二十霊場1番札所【大山寺】を参拝です。

 大山寺は、徳島県板野郡上板町神宅字大山14-2にある真言宗醍醐派の準別格本山寺院です。

 大山寺は、寺伝によれば、西範僧都(せいはん ぞうず)が開基した阿波国最初の仏法道場であると伝えられています。一般的に「たいさんじ」と読まれますが、正式な読み方について住職は「おおやまでら」でも良いそう。


 四国三十六不動尊霊場は、徳島県・香川県・高知県・愛媛県内にある36箇所の不動明王を祭る霊場です。平成元年(西暦1989年)に結成された新しい巡礼霊場です。

 四国八十八ヶ所霊場や四国別格二十霊場と同様に先達制度があったり、巡拝の回数によって色の変わるオリジナル不動納札があったりと、認知度アップに一生懸命な所が伝わってきます。

 四国八十八ヶ所霊場+四国別格二十霊場+四国三十六不動尊霊場+四国の道の駅めぐりをします。


 四国八十八ヶ所霊場6番札所【安楽寺】を参拝です。

 安楽寺は、徳島県板野郡上板町引野8にある高野山真言宗の寺院です。

 安楽寺は、寺伝によれば、弘仁06年(西暦815年)に弘法大師・空海がこの地を訪れた際、万病に効くと言われる温泉が湧き出ているのを発見し、温泉の守護仏である薬師如来を彫って安置したのが始まりと伝えられています。今も宿坊には天然温泉の「弘法の湯」があります。


 四国八十八ヶ所霊場7番札所【十楽寺】を参拝です。

 十楽寺は、徳島県阿波市高尾字法教田58にある高野山真言宗の寺院です。

 十楽寺は、寺伝によれば、弘仁06年(西暦815年)に弘法大師・空海が巡錫(じゅんしゃく)した際、この地に堂宇を建てて修行したと伝えられています。空海が「この地に参拝すれば、人生の様々な苦しみ(十苦)から解放され、十種の楽を得ることができる」と説いたことから「十楽寺」と名付けられました。


 道の駅「どなり」でちょっと遅めの昼食です。徳島北部では「たらいうどん」が伝統的な名物だったりするようなので頂きます。ご馳走様です。

 神山すだちサイダーも購入しておきます。

 今回は、四国八十八ヶ所霊場の他に四国の道の駅もめぐっていたりします。


 四国八十八ヶ所霊場8番札所【熊谷寺】を参拝です。

 熊谷寺は、徳島県阿波市土成町土成字前田185にある高野山真言宗の寺院です。

 熊谷寺は、寺伝によれば、弘仁06年(西暦815年)に弘法大師・空海がこの地で修行をしていた際、紀州の熊野権現から一寸八分(約5.5cm)の金の観音像を授かり、自ら等身大の千手観世音菩薩像を彫刻し、その胎内に授かった金の観音像を納めて本尊としたのが寺の始まりとされています。


 四国八十八ヶ所霊場9番札所【法輪寺】を参拝です。

 法輪寺は、徳島県阿波市土成町土成字田中198-2にある高野山真言宗の寺院です。

 法輪寺は、寺伝によれば、弘法大師・空海がこの地を訪れた際、衆生の救済を願って自ら等身大の釈迦如来像を彫刻し、安置したのが始まりと伝えられています。


 四国八十八ヶ所霊場10番札所【切幡寺】を参拝です。

 切幡寺は、徳島県阿波市市場町切幡129にある高野山真言宗の寺院です。

 切幡寺は、寺伝によれば、弘仁06年(西暦815年)に弘法大師・空海がこの地で修行をしていた際、乙女と出会い、乙女を得度させて灌頂を授けると乙女は即身成仏し、身体から七色の光を放ち千手観音菩薩に変身したと伝わります。本堂まで333段の石段が約800m続きます。


 切幡寺(きりはたじ)は、白い桜が咲いているような美しい雪景色でした。

 なかなか良い天気に見える写真ですが、この後、降雪開始しました。


 四国八十八ヶ所霊場11番札所【藤井寺】を参拝です。

 藤井寺は、徳島県吉野川市鴨島町飯尾1525にある臨済宗妙心寺派の寺院です。

 藤井寺は、寺伝によれば、弘仁06年(西暦815年)に弘法大師・空海が自身の厄除けと衆生の安寧を願って薬師如来像を刻み、お堂を建立したのが始まりと伝えられています。その際、お堂の前に五色の藤の木を植えたことから、「藤井寺」という寺号が付けられました。

 今回は、順打ちで巡ろうと思いましたが、残念ながら私の相棒であるセリカさんは、ノーマルタイヤなので降雪する中、山奥にある12番札所【焼山寺】は無理ぽいので、一旦飛ばして次の札所に向かいます。


 四国別格二十霊場2番札所【童学寺】を参拝です。

 童学寺は、徳島県名西郡石井町石井字城ノ内605にある真言宗善通寺派の寺院です。


 四国三十六不動尊霊場11番札所【童学寺】の御朱印も頂きます。

 童学寺は、伝承によれば、弘法大師・空海が7歳から15歳までこの地で学問を修めたことから、「童学寺」と名付けられたとされています。弘仁06年(西暦815年)、空海が42歳のときに再訪して伽藍を整備し、自らが彫刻した仏像を安置したと伝わります。


 四国三十六不動尊霊場12番札所【建治寺】を参拝です。

 建治寺は、徳島県徳島市入田町金治230にある東寺真言宗の寺院です。

 建治寺は、寺伝によると、天智天皇(第38代陛下)の御代(西暦661〜671年)に、修験道の開祖・役小角(えんのおづぬ)が開基したと伝えられています。四国八十八ヶ所霊場13番札所【大日寺】の奥之院とされています。


 四国八十八ヶ所霊場13番札所【大日寺】を参拝です。

 大日寺は、徳島県徳島市一宮町西丁263にある真言宗大覚寺派の寺院です。

 大日寺は、寺伝によれば、弘仁06年(西暦815年)に弘法大師・空海がこの地で修行をしていた際、空中から大日如来が現れ、「この地は霊地であるから寺を建てなさい」と告げられたと伝えられています。大師は、そのお告げに従って大日如来像を刻み、本尊として安置したのが始まりです。


 阿波国一宮【一宮神社】を参拝です。

 一宮神社は、徳島県徳島市一宮町西丁237にある神社です。

 一宮神社は、一宮神社の創建は平安時代後期に遡るとされており、神山町の上一宮大粟神社の分社として、国府に近いこの地に「下一宮」として祀られたのが始まりと伝えられています。


 阿波国一宮【上一宮大粟神社社】を参拝です。

 上一宮大粟神社は、徳島県名西郡神山町神領字西上角330にある神社です。

 上一宮大粟神社は、社伝によると、創建は神代の昔に遡るとされ、非常に古い歴史を持つ神社です。大宜都比売命は食物の神様であり、この地を拓いて粟(あわ)を育て、人々を飢えから救ったと伝えられています。


 四国ぼけ封じ三十三観音霊場4番札所【神宮寺】を参拝です。

 神宮寺は、徳島県名西郡神山町神領上角438にある高野山真言宗の寺院です。

 神宮寺は、寺伝によると、神亀06年(西暦729年)に聖武天皇(第45代陛下)の勅願により、行基が創建したと伝わります。阿波国一宮【上一宮大粟神社】の別当寺として創建されたと伝わります。


 四国ぼけ封じ三十三観音霊場は、平成02年(西暦1990年)に開創された新しい巡礼コースとなります。

 後に「四国三十三観音霊場会」と改称されましたが、私の購入した納経帳は「四国ぼけ封じ三十三観音霊場」の時代のものなのでそちらに準拠しています。


 阿波国一宮【八倉比売神社】を参拝です。

 八倉比売神社は、徳島県徳島市国府町西矢野字宮谷531にある神社です。

 八倉比売神社は、正式には、天石門別八倉比売神社となりますが江戸時代には阿波国を治めた蜂須賀氏が崇敬したと伝わります。寛保年間(西暦1741〜1743年)に杉尾大明神と称し、明治03年(西暦1870年)に現社名に改めました。


 四国八十八ヶ所霊場14番札所【常楽寺】を参拝です。

 常楽寺は、徳島県徳島市国府町延命606番地にある高野山真言宗の寺院です。

 常楽寺は、寺伝によれば、弘仁06年(西暦815年)に弘法大師・空海がこの地を訪れた際、弥勒菩薩を彫って本尊とし、七堂伽藍を建立したのが始まりと伝えられています。空海が「常楽我浄(じょうらくがじょう)」という涅槃の四徳を説いたことが寺号の由来とされています。


 四国八十八ヶ所霊場15番札所【国分寺】を参拝です。

 国分寺は、徳島県徳島市国府町矢野718-1にある曹洞宗の寺院です。

 国分寺は、天平13年(西暦741年)に聖武天皇(第45代陛下)の勅願により、天下泰平を祈願して全国68ヶ所に創建された国分寺の一つです。戦国時代に焼失し、江戸時代に再建され、宗派を真言宗から曹洞宗に改めたと伝わります。


 四国八十八ヶ所霊場16番札所【観音寺】を参拝です。

 観音寺は、徳島県徳島市国府町観音寺49-2にある高野山真言宗の寺院です。

 観音寺は、寺伝によれば、弘仁年間(810〜824年)に弘法大師・空海が巡錫した際、村人が疫病で苦しんでいるのを見て、自ら薬師如来像を刻んで病を鎮めました。その後、空海は夢でお告げを受け、千手観世音菩薩を彫って本尊とし、寺を創建したと伝わります。


 四国八十八ヶ所霊場17番札所【井戸寺】を参拝です。

 井戸寺は、徳島県徳島市国府町井戸北屋敷80-1にある真言宗善通寺派の寺院です。

 井戸寺は、寺伝によれば、奈良時代に行基によって「光明寺」として創建されたと伝わります。弘法大師・空海がこの地を訪れた際、長引く日照りに苦しむ人々を救うため、錫杖で地面を掘ると清らかな水が湧き出しました。大師は、この水で七体の薬師如来を刻み、本尊として安置したとされています。この水が湧き出た井戸は「眼洗い井戸」と呼ばれ、寺名の由来となりました。


 新・日本街路樹100景【ワシントンヤシ並木】を訪ねます。

 ワシントンヤシ並木は、徳島県徳島市のJR徳島駅前にあります。

 ワシントンヤシ並木は、昭和28年(西暦1953年)に開かれた第8回の国民体育大会(国体)に合わせて植えられたと言われています。


 徳島ラーメン岩田家さんで夕食にしました。うーん。PRの割には、ってのが正直な感想でした。

 個人的には、東大や麺王の方が好きかな。ご馳走様です。徳島市内で早めにホテルに入って初日は終了です。

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