086.有川捕鯨関連文化遺産

公式引用

 有川の捕鯨の歴史は、慶長年間に始まったといわれ、約400年の歴史を持つ。元禄4年(1691年)江口甚左衛門正利による有川鯨組が創業され、鯨見の番人が鯨の状況を見張る山であったのが鯨見山である。山頂付近には、甚左衛門が建立した捕鯨実績を刻んだ「鯢鯨供養碑」と「夜明」「十一面」の二観音石仏がある。

到達記録(鯨見山と鯨供養碑)

 平成30年05月31日、平成30年06月01日に訪問しました。

 有川港(ありかわこう)は、長崎県南松浦郡新上五島町有川郷にある港です。

 五島列島の一つ中通島にある新上五島町に上陸しました。それだけで最高な気分です。

 現地は階段登りになりますが、ロケーションは非常に良いので新上五島町のお勧めポイントの一つです。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【有川捕鯨関連文化遺産】

公式引用

 海童神社は、海難事故が多発したことをきっかけに、元和6年(1620)に龍神様を海童神として祭ったことを始まりとする神社である。鯨の顎骨で作られた鳥居が有名で、捕鯨で栄えた有川を象徴する建築物である。

到達記録(海童神社)

 平成30年05月31日、平成30年06月01日に訪問しました。

 海童神社(かいどうじんじゃ)は、長崎県南松浦郡新上五島町有川郷にある神社です。

 海童神社は、小高い山に鎮座している神社で、麓の鳥居が鯨の骨で作られているのが特徴です。

 海童神社のある場所は、平成14年頃までは海に囲まれた応護島(おこじま)という小島でした。有川港ターミナルが新築される際に、島の周囲が埋め立てられ陸続きになりました。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【有川捕鯨関連文化遺産】

公式引用

 弁財天宮は、約300年前、江戸時代の初期、五島藩有川と富江藩魚目が有川湾の海境争いの際、甚左衛門が江戸公訴の道中に鎌倉弁才天に勝訴祈願をしたところ、有川側の勝訴で決着したことから、その分霊を守り神として祭ったお宮である。正月14日には「弁財天祭り」が開催され、鯨唄が奉納される。

到達記録(弁財天宮)

 平成30年05月31日、平成30年06月01日に訪問しました。

 弁財天宮(べんざいてんぐう)は、長崎県南松浦郡新上五島町有川郷にある神社です。

 有川鯨組の守り神として大切にされていることが伺えます。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【有川捕鯨関連文化遺産】

公式引用

 近代捕鯨の時代に入ると、有川出身の原眞一は、有川を基地に東洋捕鯨(株)によりノルウェー方式捕鯨を操業。地元への貢献により、顕彰碑が建てられている。

到達記録(原眞一顕彰碑)

 平成30年05月31日、平成30年06月01日に訪問しました。

 原眞一顕彰碑は、長崎県南松浦郡新上五島町有川郷714-2にある銅像です。

 現地では、「原氏父子の像」として顕彰されていました。

 原眞一さんの息子・萬一郎さんは五島列島ではお世話になる九州商船の初代社長を務めた人です。

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