全国百選めぐり【広島市の百選】

到達記録(広島城)

 平成20年07月13日、平成26年12月28日、平成29年06月14日、令和07年04月09日他、何度か訪問しました。

 広島城(ひろしまじょう)は、広島県広島市中区基町にある城跡です。

 広島城は、天正17年(西暦1589年)、毛利輝元が太田川の中州の埋め立てによって築城し、関ヶ原の戦いの後、福島正則が城郭を増築し、浅野氏の時代に明治維新を迎えました。

 大東亜戦争末期、原子爆弾により破却されました。現在の天守は、昭和33年(西暦1958年)に再建された鉄骨鉄筋コンクリート造になります。そんな経緯から建築物は残っていませんが、かつての威容を偲ばせる縄張りが残っています。国の史跡【広島城跡】です。

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到達記録(太田川)

 平成26年12月28日、令和04年05月31日他、何度か訪問しました。

 太田川(おおたがわ)中流域は、広島県広島市を流れている河川です。

 太田川は、全長103kmの内、広島市以外は全て山間部となり、清流として知られています。河川周辺はゴルフ場や運動公園が整備されていました。

 昭和の名水百選【太田川(中流域)】

到達記録(曳き船)

 平成30年12月28日に訪問しました。

 江波(えば)の曳き船は、宮島の管弦祭(かんげんさい)の際に、御座船を曳航する船のことです。

 広島県呉市の阿賀地区にある漁業組合では倉庫に保管しているだけで見れませんでしたが、広島市の江波地区にある漁業組合では、見える形で保管していてくれたのでラッキーでした。

 管絃祭は、旧暦06月17日(今の暦だと7月中旬から8月上旬位になります)の夕方に行われる【厳島神社】の祭礼行事で、平安時代に平清盛が始めたとされています。

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到達記録(広島県庁舎)

 令和06年09月11日に訪問しました。

 広島県庁舎(ひろしまけんちょうしゃ)は、広島県広島市中区基町10-52にある県庁舎です。

 広島県庁舎は、昭和20年(西暦1945年)の原子爆弾によって本庁舎が壊滅しており、昭和31年(西暦1956年)に現在の庁舎が竣工しています。

 公共建築百選【広島県庁舎】の顕彰碑は本館エントランス右手の階段の近くに掲示されていました。

 公共建築百選【広島県庁舎】

到達記録(平和記念公園)

 平成26年12月28日、平成29年06月14日、令和06年09月11日他、何度か訪問しました。

 平和記念公園(へいわきねんこうえん)は、広島県広島市にある公園です。

 昭和20年(西暦1945年)08月06日08時15分、アメリカ軍により原子爆弾が投下されました。負の歴史遺産と呼ばれる場所です。現地では鎮魂の鐘音が鳴り響いています。

 現地にある碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の主語は誰なんでしょうか。執筆者の雑賀忠義さんの意図は「全人類」を想定しているそうで、その理想は高邁であると理解はできますが、納得は出来ない私です。無慈悲に非戦闘員を焼き殺すように命令したのは、アメリカの指導者だ。

 もし、かつての日本帝国が核兵器を保有しており、アメリカ本土に対する反撃能力があれば、アメリカは広島・長崎に核攻撃をしたでしょうか?私はされなかったと思っています。

 現実問題として人類の敵であり領土的野心を隠さない中国共産党やロシア、南北朝鮮から日本を守るためには戦力の保有が必要だと思います。過去の痛みを未来に繰り返さないために、反撃能力をしっかり保有することが大事だと思います。

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到達記録(平和大通り)

 平成26年12月28日、平成29年06月14日他、何度か訪問しました。

 平和大通り(へいわおおどおり)は、広島県広島市の中心部を東西に横断する約4kmの大通りです。

 平和大通りは、道路幅が100mあり、日本に3本(名古屋市に2本、広島市に1本)ある「100m道路」の一つです。名古屋市にあるのは、【久屋大通】と若宮大通です。

 現地では、クスノキ、ケヤキ、トウカエデなど街路樹が植えられており、緑に満ち溢れた道路となっています。に選ばれています。

 日本の道100選【平和大通り】の顕彰碑は、【平和記念公園】東側の【平和大通り】北側にある緑地公園の中にありました。

 日本の道100選【平和大通り】新・日本街路樹100景【平和大通り】

到達記録(広島平和記念資料館)

 平成26年12月28日、平成29年06月14日、令和06年09月11日他、何度か訪問しました。

 広島平和記念資料館(ひろしまへいわきねんしりょうかん)は、【平和記念公園】内にある博物館です。<「原爆資料館」とも呼ばれています。

 広島国際会議場(ひろしまこくさいかいぎじょう)は、【平和記念公園】内にある会議施設です。この2つの施設は、空中回廊で繋がっています。

 公共建築百選【広島平和記念資料館・広島国際会議場】の顕彰碑は、かつては有料エリア出口であった本館出口階段にあり、現在、その通路には立入禁止になっており、ガラスドア越しに見ることが出来ます。

 公共建築百選【広島平和記念資料館・広島国際会議場】

到達記録(元安橋)

 令和06年09月11日に訪問しました。

 元安橋(もとやすばし)は、広島県広島市を流れる元安川(もとやすがわ)に架かる橋です。

 元安橋は、原爆ドームと【平和記念公園】を結ぶ橋の1つです。安土桃山時代に木橋として築造されたのが始まりとされています。

 昭和20年(西暦1945年)、原爆の爆心地より約130mにあるものの落橋を免れた橋です。元安橋付近で多くの人が亡くなっており、毎年08月06日夜に犠牲者を弔う灯籠流しが行われています。平成04年(西暦1992年)、現行の元安橋が架橋されました。

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到達記録(縮景園・跨虹橋)

 令和06年09月11日に訪問しました。

 跨虹橋(ここうきょう)は、縮景園の境内にある池に架かる橋です。

 縮景園(しゅっけいえん)は、広島県広島市中区上幟町2-11にある庭園です。国の名勝【縮景園】です。

 跨虹橋は、第7代広島藩藩主・浅野重晟(あさの しげあきら)が、京都から庭師を招聘し、天明06年(西暦1786年)に架橋された石橋です。原子爆弾の爆風にも耐えて落橋しませんでした。

 日本百名橋・番外【縮景園・跨虹橋】

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