277.姫路城に行こう!


 平成27年10月14日11時半からスタートです。


 日本の道100選【大手前通り】&新・日本街路樹100景【大手前通り】を訪ねます。

 大手前通り(おおてまえどおり)は、兵庫県姫路市にある道路です。

 JR山陽本線・姫路駅から姫路城大手門前の「姫路城前交差点」に至る道路で、正面に姫路城が見える道路です。

 日本の道100選【大手前通り】の顕彰碑は、どこかなぁ。見つけられないんですよね〜。


 大手前通りをウロチョロするのに飽きてきたので日本100名城【姫路城】を訪ねます。

 姫路城(ひめじじょう)は、兵庫県姫路市にある城郭です。5年間の改装工事が終わるのを待っていました。


 姫路城は、南北朝時代、美作国守護・赤松貞範(あかまつ さだのり)による築城とする説が有力ですが、当時の城郭は砦サイズの小規模なものであったと言われています。

 関ヶ原の戦いの後、播磨姫路藩初代藩主・池田輝政(いけだ てるまさ)が現在の形に拡張しました。姫路藩の藩庁として、また西国探題が設置されたことからも幕府から重要視された地域であることが窺えます。藩主は度々変わり酒井氏が藩主の時代に明治維新を迎えました。


 菱の門と呼ばれる櫓門です。


 三国堀から見上げる天守。


 名古屋城や大阪城のようなエレベータ付きの城より急な階段のある城の方が日本の城らしくて好きです。


 大天守から西の景観です。

 姫路城は、江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存しており、国宝天守の一つで、国の特別史跡【姫路城跡】、世界文化遺産【姫路城】です。


 南の景観。大手前通りが見えます。

 【津山城】、【伊予松山城】と並べて、三大平山城の一つとされています。また【和歌山城】、【伊予松山城】と並べて、三大連立式平山城の一つとされています。


 東の景観です。


 武者隠しとはいうものの、ここに詰めた武者は死ぬしかないんじゃ…。


 備前丸曲輪に降りてきて連立式の天守を仰ぎ見ます。

 別名、白鷺城(はくろじょう/しらさぎじょう)です。@姫路城が「鷺山」に築かれているからA白漆喰で塗られた城壁からB黒い壁から「烏城(うじょう)」の別称を持つ【岡山城】との対比など、由縁は色々な説があるようです。


 鯱です。時代によって造詣が変わっていますね。


 ご当地サイダーゲットです。但し、中身は普通のサイダーです。


 書写山(しょしゃざん)ロープウェイとマイクロバスに乗って神仏霊場75番札所【圓教寺】に到着です。

 圓教寺(えんぎょうじ)は、兵庫県姫路市書写2968にある天台宗の別格本山寺院です。


 磨尼殿(まにでん)です。

 以前、西国三十三観音霊場ではこちらで御朱印を頂きました。


 清水寺と同じ造りなので、足元が少し怖いです。


 右が大講堂で左が食堂です。

 食堂は「しょくどう」と読まず「じきどう」と読みます。


 蔀戸(しとみど)のある寝殿造の建造物、好きなんですよね。圓教寺は、かつて「西の比叡山」とも称された古刹です。


 食堂で神仏霊場75番札所として御朱印を頂きます。


 30円の餌が置いてありますが、とてもお腹をすかせている様子の放生池。

 まだ観光客の少ないシーズンですからね。


 書写山ロープウェイからの展望です。


 神仏霊場77番札所【一乗寺】を参拝です。

 一乗寺(いちじょうじ)は、兵庫県加西市坂本町821-17にある天台宗の寺院です。


 一乗寺には、承安元年(西暦1171年)に建立の三重塔があります。建立年が明確に判明している三重塔としては、日本で最古のもので国宝です。

 急峻な登りがデブにはキツイです。今回の旅路で神仏霊場めぐり兵庫県も終わりました。残すは京都と滋賀県です。

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