256.秩父遠征その3:秩父三十四観音霊場【中編】


 平成27年05月04日の午後です。


 秩父三十四観音霊場16番札所【西光寺】を参拝です。

 西光寺(さいこうじ)は、埼玉県秩父市中村町14-8-21にある真言宗豊山派の寺院です。

 西光寺は、宝永07年(西暦1710年)に建てられた本堂や、秩父札所最古の観音堂の遺構とされている札堂(ふだどう)が現存しています。


 大きな酒樽の中に大黒天さんがいました。


 秩父三十四観音霊場17番札所【定林寺】を参拝です。

 定林寺(じょうりんじ)は、埼玉県秩父市桜木町21-3にある曹洞宗の寺院です。

 定林寺は、長享02年(西暦1488年)の秩父札所番付では第1番札所として記載されていた寺院です。寺伝によると、江戸時代後期に現在の場所に移転したと伝わります。


 アニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」の舞台になった場所なのでアニメのファンと思われる方が多かったです。このアニメは私も見ましたけど、面白かったです。

 建物を撮影したくてしばらく待っていましたが、移動してくれそうになかったのでそのまま撮影しています。


 秩父三十四観音霊場18番札所【神門寺】を参拝です。

 神門寺(ごうどじ)は、埼玉県秩父市下宮地町5-15にある曹洞宗の寺院です。  神門寺は、寺伝によると、かつてこの地には神社が鎮座しており、境内には榊(さかき)の大木が枝を広げ、その様子が楼門のように見えたことから「神門(ごうど)」と呼ばれていたと伝わります。


 秩父三十四観音霊場19番札所【龍石寺】を参拝です。

 龍石寺(りゅうせきじ)は、埼玉県秩父市大畑町15-31にある曹洞宗の寺院です。

 龍石寺は、観音堂(本堂)が巨大な岩盤の上に建っています。寺伝によると、弘法大師・空海が雨乞いをすると、寺の土台となっている大きな岩盤が二つに割れ、中から龍が天に昇って雨を降らせたと伝わります。


 秩父三十四観音霊場20番札所【岩之上堂】を参拝です。

 岩之上堂(いわのうえどう)は、埼玉県秩父市寺尾2169にある臨済宗南禅寺派の寺院です。

 岩之上堂は、寺伝によると、元禄16年(西暦1703年)に内田武左衛門尉政勝さんが観音堂を再建したと伝わります。この内田家の方が個人で管理しているとか。秩父札所の中で最も古い観音堂とされています。

。  車を利用していると、秩父橋を渡ってから下って訪ねるのですが、昔は荒川を渡し舟で渡って登って巡礼したようです。


 秩父三十四観音霊場21番札所【観音寺】を参拝です。

 観音寺(かんのんじ)は、埼玉県秩父市寺尾2354にある真言宗豊山派の寺院です。

 観音寺は、伝承によると、行基がこの地の八幡宮の社地に観音像を祀ろうとした際、悪鬼たちが火の雨を降らせて妨害したところ、八幡神が現れて神矢を放ち、悪鬼を打ち払ったとする伝説から、通称・矢之堂(やのどう)とも呼ばれています。

 境内と駐車場の間に道路が走っていますが、歩道がなかったので注意です。地元ナンバーが結構いいスピードで駆け抜けていきました。


 秩父三十四観音霊場22番札所【童子堂】を参拝です。

 童子堂(どうじどう)は、埼玉県秩父市寺尾3595にある真言宗豊山派の寺院です。

 立派な茅葺の仁王門がお出迎えです。


 仁王門には、立派な仁王像…なんてひょうきんな顔した仁王像なんだ。

 口が開いている方が阿形(あぎょう)、口を閉じているほうが吽形(うんぎょう)です。


 童子堂は、寺伝によると、明治43年(西暦1910年)に現在地に移転してきたと伝わります。


 ミツバチなのか藤の周りを飛び回る虫がいるだけで、境内はとても静かです。

 京都にあれば観光客だらけになりそうです。


 秩父三十四観音霊場23番札所【音楽寺】を参拝です。

 音楽寺(おんがくじ)は、埼玉県秩父市寺尾3773にある臨済宗南禅寺派の寺院です。

 音楽寺は、寺伝によると、この地の松の木々の間を吹き抜ける風の音を聞いた際、その音がまるで菩薩が奏でる優美な音楽のように感じられたことから「音楽寺」と名付けられたと伝えられています。


 白いツツジに囲まれています。この辺りの札所から徐々に山の方に入ってきているので、まだ満開ではなかったです。


 秩父三十四観音霊場24番札所【法泉寺】を参拝です。

 法泉寺(ほうせんじ)は、埼玉県秩父市別所1586にある臨済宗南禅寺派の寺院です。

 法泉寺の本堂(観音堂)は、仁王門と一体化した非常に珍しい構造になっており、お堂の前面左右に金剛力士が安置されています。116段の石段が印象的です。麓に水をサービスしてくれる店舗があり助かりました。


 秩父三十四観音霊場25番札所【久昌寺】を参拝です。

 久昌寺(きゅうしょうじ)は、埼玉県秩父市久那2215にある曹洞宗の寺院です。

 久昌寺は、寺伝によると、性空(しょうくう)が夢の中で閻魔大王に出会い、石の通行手形を授けられ、この寺に納めたという伝説から、通称・御手判寺(おてはんじ)とも呼ばれています。


 弁天池が広がっています。

 12月1日から2月末日まで、納経時間が9時から16時になるようです。私の訪問時間が15時だったので読経されながら巡礼されている方は、時間切れになるかもしれないですね。ご注意下さい。


 秩父三十四観音霊場26番札所【円融寺】を参拝です。

 円融寺(えんゆうじ)は、埼玉県秩父市下影森348にある臨済宗建長寺派の寺院です。

 秩父札所としては本来、円融寺の奥の院・岩井堂(いわいどう)だったとされていますが、札所本尊も本堂に安置されており、御朱印も本堂で対応されています。


 秩父三十四観音霊場27番札所【大渕寺】を参拝です。

 大渕寺(だいえんじ)は、埼玉県秩父市上影森411にある曹洞宗の寺院です。

 大渕寺は、寺伝によると、元々、観音堂は山上にあり「月影堂」と呼ばれていましたが、大正08年(西暦1919年)に秩父鉄道の蒸気機関車の煤煙が原因で火災が発生し、全焼しました。平成08年(西暦1996年)に本堂裏手に再建されました。

 観音延命水と言われる湧き水があります。


 秩父三十四観音霊場28番札所【橋立堂】を参拝です。

 橋立堂(はしだてどう)は、埼玉県秩父市上影森675にある曹洞宗の寺院です。

 橋立堂は、石灰岩の巨大な岩壁の下に建つ朱塗りの観音堂と、奥の院である橋立鍾乳洞が一体となった、非常に特徴的な寺院です。鍾乳洞というより洞穴か洞窟と言った方が正確なような…私には少々狭い洞窟でした。

 12月1日から3月末まで、納経は27番札所【大渕寺】でされているようです。ご注意下さい。


 秩父三十四観音霊場29番札所【長泉院】を参拝です。

 長泉院(ちょうせんいん)は、埼玉県秩父市荒川上田野557にある曹洞宗の寺院です。

 長泉院は、秩父札所を開いたとされる性空(しょうくう)ら十三権者が、文暦元年(西暦1234年)に秩父巡礼をした際に、「石札定置巡礼」と刻まれた石札を納めたと伝えられることに由来し、石札堂(いしふだどう)と呼ばれています。


 真っ白なツツジが出迎えてくれます。

 まだ満開ではなかったけど、とても花の数が多いですね。


 秩父三十四観音霊場30番札所【法雲寺】を参拝です。

 法雲寺(ほううんじ)は、埼玉県秩父市荒川白久432にある臨済宗建長寺派の寺院です。

 法雲寺には、享禄・天文年間(西暦1531〜1555年)の古い納札が保存されており、特に天文05年(西暦1536年)の納札には「西国・板東秩父百ヶ所巡礼」の文字が刻まれており、日本百観音霊場の成立時期を考察する上で大変貴重な資料です。


 法雲寺は、藤や紅葉が綺麗な寺院でした。時間は、16時半になっていました。

 元々25番札所くらいまでを想定していましたが、西国や坂東を巡ってきた後に回ると本当にすぐ近くに札所が連なってあり、サクサク進めてしまい、気が付けばかなりの強行軍になっていたので、本日の巡礼はここでお仕舞いです。


 郊外に出たところで見かけた中華屋さんで夕食です。

 夕食後早々にホテル入りしてまったり過ごしました。

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