043.要害山城と躑躅ヶ崎館

到達記録(躑躅ヶ崎館)

 平成20年08月08日、平成22年09月22日、平成30年08月11日他、何度か訪問しました。

 武田氏館(たけだしやかた)は、山梨県甲府市古府中にある城跡・館跡です。

 正式には、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)と大変難しい漢字の名称です。戦国時代に、武田信玄の父・武田信虎が築城しました。信虎はその後、息子に追い出されることになります。

 現在は、武田信玄を主祭神とする先人を祭る神社【武田神社】が鎮座しています。

 天正09年(西暦1581年)、武田勝頼が【新府城】に移るまで3代60年に渡っての武田氏の本拠地でした。

 武田氏が滅亡すると、織田氏・徳川氏・豊臣氏によって甲斐国の統治拠点として再整備され、その後、日本100名城【甲府城】が築城されるまで使用されていたと考えられます。

 現地では、堀跡と思しき水堀と土塁で囲まれた曲輪が残っています。国の史跡【武田氏館跡】となっています。

 日本100名城【武田氏館(武田神社)】日本名城百選【要害山城と躑躅ヶ崎館】

到達記録(要害山城)

 平成30年08月11日に訪問しました。

 要害山城(ようがいやまじょう)は、山梨県甲府市上積翠寺町(かみせきすいじまち)にある城跡です。

 要害山城は、躑躅ヶ崎館(日本100名城【武田氏館(武田神社)】)の詰め城として武田信玄の父・武田信虎が築城しました。国の史跡【要害山】として指定されています。

 武田氏滅亡後、徳川氏の支配期を経て豊臣系大名が入城し、徳川氏への押えとなりました。

 関ヶ原の戦いの後、要害山城は廃城となっています。国の史跡【要害山】です。

 続・日本100名城【要害山城】日本名城百選【要害山城と躑躅ヶ崎館】

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