098.南方漁場の開拓者原耕の像

公式引用

 原耕は、南さつま市坊津町泊に生まれ、枕崎で医院開業のかたわら、これまで伝統的に小規模に行われてきたかつお漁業の近代化・大型化に貢献。彼は、大型の石油発動船による漁業の必要性をとなえ、近海ではなく未開の南洋に新しい漁場を開拓せねばならないという思いから、1925年枕崎造船所で91トン150馬力の当時としては最大級の船「千代丸」を建造、自らも乗船し、沖縄、台湾、フィリピンの近くまで行き、次々と新しい漁場を発見した。1927年(昭和2年)これまで誰も行ったことのなかった日本の漁業の外延的拡大につながる南洋航海に出発し、その年の10月18日、日本の漁船として初めて赤道を越えた。

 原耕の南方漁場開拓により、枕崎は日本でも有数のかつお遠洋漁業基地として、その後、飛躍的な発展を遂げるに至った。

 遠洋かつお関係産業が、鹿児島県の一大産業で、その加工品である鰹節も日本の食文化を担う重要産業であり、その意味で原耕の功績は大きく、その貢献を称えることは意義が深い。

 なお、「原耕の像」は、坊津歴史資料センター「輝津館」前と枕崎市漁港内と松之尾公園にそれぞれに存在する。

到達記録

 平成23年02月18日、平成27年01月02日、令和02年12月30日他、何度か訪問しました。

 坊津歴史資料センター輝津館(きしんかん)は、鹿児島県南さつま市坊津町坊9424-1にある資料館です。

 枕崎漁港(まくらざきぎょこう)は、鹿児島県枕崎市にある特定第三種漁港です。

 松之尾公園(まつのおこうえん)は、鹿児島県枕崎市汐見町261にある公園です。

 坊津歴史資料センター(写真右上)、枕崎漁港内(写真下)、松之尾公園内(写真左上)と色んなところに銅像が建つ原耕(はらこう)さんです。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【南方漁場の開拓者原耕の像】

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