097.羽島漁港

公式引用

 1862年の生麦事件に端を発した薩英戦争で大きな被害を受けた薩摩藩は、近代技術を学び、西洋技術を導入するため、1865年五代友厚や森有礼ら薩摩藩留学生19名をここ羽島浜中港より英国へ送り出した。

 当時は、諸藩が容易に外国に行くことができなかったため、留学生達は幕府役人の警戒を逃れるため改名し、近海の島の視察と称し串木野の羽島に2ヶ月間潜伏した後、英国に向けここ羽島浜中港より英国船オースタライエン号で密かに出航したのである。彼らは英国のサザンプトン港を経由し、ロンドンに到着するとロンドン大学で近代技術を学び、後の近代日本の発展に多大な貢献を果たすこととなった。

 また、本漁港は西郷隆盛が青年時代に万福池補修工事費の残金をもって、藩命により修復した史実もある由緒ある玉石積みの防波堤をもつ港でもある。

 本漁港は、漁船の船溜まりとして利用されてきたことのほか、江戸時代末期には、薩摩藩英国留学生がこの地より英国に向け出発したことを伝える記念碑も建てられている。

到達記録

 平成23年02月18日、平成27年01月02日、平成30年12月30日他、何度か訪問しました。

 羽島漁港は、鹿児島県いちき串木野市羽島4930にある漁港です。

 現地には、薩摩藩英国留学生記念館(SATSUMA STUDENTS MUSEUM)が整備されています。

 慶応元年(1865年)に、五代友厚や森有礼ら薩摩藩留学生19名をここからイギリスに近代技術を学びに行かせた港です。簡単に言えば密航の場所というわけですが、それが明治維新の原動力の一つになった点で評価されているのでしょう。

 西郷隆盛もまた謀反を起こした反逆者ですが、後の世では、情に深い英雄として評価されていますね。日本人独特の判官贔屓と言ってしまえば、それでしまいですが、私はどちらかと言うと敵役になって嫌われ者になってしまった大久保利通の方が日本に尽くした英雄だと思います。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【羽島漁港】

[前]を見る [次]を見る

[未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選]に戻る

[全国百選めぐり]に戻る

[トップページ]に戻る