091.御船寄

公式引用

 幕藩時代、藩船「朝陽丸」(藩主参勤の御座船)やこれに随行する御用船が係留されていた港で、「御船寄」と呼ばれていた。明治維新後から物資の流通が盛んになり、港周辺に料亭や旅籠が立並ぶほどの賑わいを見せていた。昭和10年に対岸の小祝に港が建設され、賑わいは廃れていったが、その後は中津市の漁船を係留する場所として利用され、現在でも当時の面影を伝える玉石積みの突堤が、漁港船溜まりの一部として残されている。「御船寄」は、中津藩の歴史を考えるうえで重要なことから、平成14年10月21日に中津市指定文化財(史跡)に指定された。

 「御船寄」を偲ぶものとして、「御船歌」がある。御座船の出港の際などに羽織袴を着てこの唄を歌ったもので、全国各地で歌われていたものであるが、今では中津の下正路町だけに受けつがれ、中津祇園のときに歌われている。

到達記録

 平成26年08月13日、平成29年12月29日、平成30年05月29日、令和06年01月02日他、何度か訪問しました。

 中津城(なかつじょう)は、大分県中津市二ノ丁にある城跡です。

 中津城は、黒田孝高(如水)が築城し、細川忠興が完成させた城跡で、享保02年(西暦1717年)、奥平氏が入り、そのまま明治維新を迎えました。

 天正16年(1588年)に黒田孝高(如水)が整備した石垣は、九州最古のものとされています。城域の西側に現存しています。

 御船寄(おふなより)は、江戸時代に中津藩の藩船が停泊した港跡です。

 中津藩の藩主が参勤交代に用いた「朝陽丸」や、これに随行する藩船が停泊しました。明治時代になると交易港として隆盛したようです。

 令和06年01月02日に再訪した際は、現地の多くが埋め立てられていました。

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