054.矢櫃地区歴史文化財

公式引用

 江戸時代初期、矢櫃の地に人家はなかった。元和年間、初代紀州藩主徳川頼宣が海上警備の見張り役として古座町津荷の漁夫、茂兵衛(妻くま)・茂太夫(妻ちよめ)の二夫婦にそれぞれ海老船、鮑船3艇ずつを与え、諸役を免除してこの地に住まわせたのが矢櫃の始まりである。漁場に恵まれ、茂兵衛・茂太夫二夫婦の子孫が次第に繁栄し、矢櫃は漁村として発展してきた。

 @徳川頼宣公坐像:頼宣の死去の翌年寛文12年、頼宣の公恩に感謝し、産土神と崇い奉った村民は頼宣の坐像を刻み、南龍神社を建て祀った。330年以上を経った今日でも、村民は毎年1月の第2日曜・月曜日にお日待ちという供養を行い、翌朝には紀州徳川家の菩提寺である長保寺に参拝している。

 A矢櫃浦祖先の碑:矢櫃の開祖である茂兵衛・くま、茂太夫・ちよ両夫婦の功徳を顕彰して、現在、村の中央には数十坪の広場が区画され、そこに高さ1.5m幅1m余りの矢櫃浦祖先の碑が建立されている。

到達記録

 平成24年07月01日、令和元年09月26日、令和元年10月30日他、何度か訪問しました。

 矢櫃(やづち)地区は、和歌山県有田市にある漁村集落です。

 こちらの集落には車道はなく、階段だらけなので手前に車を停めて徒歩で探索するしかありません。所々で廃墟になっていたり、限界集落な様相です。

 南龍神社(なんりゅうじんじゃ)は、集落の中腹に鎮座していました。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【矢櫃地区歴史文化財(矢櫃地区)】

到達記録

 令和元年10月30日他、何度か訪問しました。

 長保寺(ちょうほうじ)は、和歌山県海南市下津町上689にある天台宗の寺院です。

 本堂、多宝塔、大門の三棟が国宝認定を受けています。また本件のキーワードとなった紀州藩主紀州徳川家歴代の墓所があります。

 国の史跡【和歌山藩主徳川家墓所】。未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【矢櫃地区歴史文化財(長保寺)】

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