010.三陸津波伝承施設

公式引用

 「津波太郎」とまで、ありがたくない異名をもっている宮古市田老町(旧田老町)は、その名のごとくこれまでに数十回の津波被害を受けている。そのなかで慶長16年(1611年)、明治29年、昭和8年の三陸大津波により全町壊滅という大被害を受け、悲惨な経験をした町民と行政が、永久に安住できる田老とするため、津波防災に係わる施設として津波防潮堤を、昭和9年度から整備に着手、昭和53年には総延長2,433m、T.P.+10.0mの、いわゆる"田老万里の長城"と呼ばれる施設が完成し、以来、背後住民の暮らしを守る上で重要な役割を果たしている。

 両石町の国道45号沿いに3基の石碑がある。この石碑のうち中央と右側の2基は、明治29年の津浪の記念碑で、中央は、南部盛岡藩最後の藩主南部利恭による書の碑である。右側は『両石海嘯記念碑』として津浪の悲惨さを漢文で記述している。この2基はもともとは、明治29年の津浪の波が押し寄せた場所で、現在の位置より100mほど北西にあったといわれている。

到達記録

 平成30年07月10日他、何度か訪問しました。

 三陸津波伝承施設のキーワードは「田老防潮堤」と「両石津波記念碑」となりますが、「両石津波記念碑」は東北の大震災で破壊されてしまいましたので、現状「田老防潮堤」がターゲットになります。

 道の駅「たろう」が新しく誕生したのでそこに車を停めて訪問するのが良いでしょう。当日は至る所で重機が動いていました。まだまだ復興途上ですね。

 田老防潮堤は、明治29年の明治三陸大津波と昭和08年の三陸大津波の直撃を受けた田老地区(旧田老町)を守るべく、総延長2,433m、高さ10mの長大な防潮堤です。

 しかし、田老防潮堤は、平成23年03月11日の津波に飲み込まれ、田老地区に甚大な被害を及ぼしました。

 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【三陸津波伝承施設】

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