全国百選めぐり【高崎市の百選】

到達記録(箕輪城)

 平成20年08月07日、平成24年10月06日、平成30年08月13日他、何度か訪問しました。

 箕輪城(みのわじょう)は、群馬県高崎市箕郷町にある城跡です。

 箕輪城は、戦国時代、名将として名高い長野業正(ながの なりまさ)の父若しくは祖父が築城したのが始まりとされています。

 度重なる武田晴信(後の信玄)の侵攻を阻んだ長野業正ですが、息子の長野業盛(ながの なりもり)の代に武田に飲み込まれました。

 その後、北条氏の支配下に入りますが、豊臣秀吉の小田原征伐では落城しています。関東転封により徳川家康の支配下に入りますが、関ヶ原の戦いの前に廃城となりました。

 現地では、しっかりと駐車場やトイレが整備されており、探索しやすくなっています。土塁や大規模な空堀などを見て歩けますが、時期によっては草の茂り方が危険な場合もあります。

 日本100名城【箕輪城】日本名城百選【箕輪城】

到達記録(水琴亭の水琴窟)

 平成24年10月06日、令和05年01月02日他、何度か訪問しました。

 水琴亭の水琴窟は、群馬県高崎市吉井町岩崎2229-1にある創造学園大学の敷地内にあります。

 平成24年10月06日に現地訪問した日の夜のニュースで、創造学園大学が財務破綻しているニュースが流れました。こういう所を100選に選んで本当に良かったの?

 令和05年01月02日に再訪した際には、グランドヒルズ高崎という老人ホームに生まれ変わっていました。水琴亭のエリアだけはまだ残っておりました。

 残したい日本の音風景100選【水琴亭の水琴窟】

到達記録(群馬音楽センター)

 令和07年08月14日に訪問しました。

 群馬音楽(ぐんまおんがく)センターは、群馬県高崎市高松町28-2にある文化施設です。

 群馬音楽センターは、建築家アントニン・レーモンドさんによる設計で、昭和36年(西暦1961年)07月に竣工しました。

 群馬音楽センターは、江戸時代に高崎藩の藩庁だった高崎城跡に建築されており、高崎市の中心に位置しています。群馬音楽センター周辺には高崎城の城跡である乾櫓(いぬいやぐら)や、かつて通用門として使われていた東門が移築復元されています。

 群馬音楽センターは、公益財団法人高崎財団が高崎市の管理指定を受けて運営されています。駐車場が有料でしたが30分160円と良心的でした。

 現地では、事務所で見学希望を伝えると快く対応していただけ、公共建築百選【群馬音楽センター】の顕彰碑と認定証は応接所に保管となっていました。こちらも快く対応して頂け、非常にありがたいです。

 公共建築物の管理運営会社として手本となるような丁寧な対応でした。特筆してその評価を残したいと思います。ダムカード風のロケ地カードが置かれていました。

 公共建築百選【群馬音楽センター】

到達記録(群馬県立近代美術館)

 令和07年08月14日に訪問しました。

 群馬県立近代美術館(ぐんまけんりつきんだいびじゅつかん)は、群馬県高崎市綿貫町992-1にある美術館です。

 群馬県立近代美術館は、「明治百年記念事業」として整備された県立公園「群馬の森」内に位置しており、群馬県立歴史博物館とともに昭和49年(西暦1974年)10月に開館しました。

 設計は公共建築百選の常連・磯崎新(いそざき あらた)さんです。他に公共建築百選【水戸芸術館】【富山県立山博物館展示館・遙望館】【北九州市立美術館】【アートプラザ】などの設計もされています。

 群馬県立近代美術館は、明治以降の日本近代洋画や、群馬県ゆかりの作家の作品を中心に収集している美術館です。公共建築百選【群馬県立近代美術館】の顕彰碑はチケット売り場の右手に掲示されていました。

 公共建築百選【群馬県立近代美術館】

日本100名城の[前]を見る 日本100名城の[次]を見る
[日本100名城]に戻る

日本名城百選の[前]を見る 日本名城百選の[次]を見る
[日本名城百選]に戻る

残したい日本の音風景100選の[前]を見る 残したい日本の音風景100選の[次]を見る
[残したい日本の音風景100選]に戻る

公共建築百選の[前]を見る 公共建築百選の[次]を見る
[公共建築百選]に戻る

[全国百選めぐり]に戻る

[トップページ]に戻る