499.日本7周目その93:富山城と鮫ヶ尾城


 平成30年06月26日12時からスタートです。


 続・日本100名城【富山城】に到着です。

 富山城(とやまじょう)は、富山県富山市丸の内にある城跡です。今日も城めぐり全開です。

 こちらは、RC造りの模擬天守で、富山市郷土博物館となっています。


 富山城は、越中守護代・神保長職(じんぼう ながもと)が築いたのが始まりとされています。

 天正09年(西暦1581年)佐々成政(さっさ なりまさ)が入城し、居城として大規模な改修ますが、翌年発生する本能寺の変の後、敵対した豊臣秀吉に7万の大軍で包囲され降伏しました。

 江戸時代に入ると、加賀前田家の分家が越中富山藩として独立しています。越中富山藩の居城となり、明治維新まで続きました。


 こちらは千歳御門(ちとせごもん)です。

 千歳御門は、嘉永02年(西暦1849年)に越中富山藩第10代藩主・前田利保(まえだ としやす)が隠居のために富山城内に造営した千歳御殿の正門として建てられた門です。

 安政02年(西暦1855年)の大火で焼失していない富山城唯一の現存建築物とされています。


 千歳御門周辺の石垣です。

 富山城は、神通川(じんずうがわ/じんつうがわ)の流れを水堀としていたため、水に浮いたように見え「浮城(うきしろ)」とも呼ばれました。


 越中富山藩の第2代藩主・前田正甫(まえだ まさとし)の銅像がありました。

 この人は、製薬業を広め、越中の和漢薬を一躍有名にした人です。


 昼食を目の前のうどん・そば処さんかラーメン屋さんのどちらにしようかと悩んで、うどんそば処さんにしました。


 日替わり定食をチョイスします。

 とても美味しいです。また来たい食堂でした。ご馳走様です。


 新潟県に入って続・日本100名城【鮫ヶ尾城】の攻略を目指します。

 鮫ヶ尾城(さめがおじょう)は、新潟県妙高市にある城跡です。


 どうやら現地は、城跡の他に縄文時代の遺跡地帯でもあるようです。

 「斐太歴史の里」として案内されていました。


 斐太歴史の里総合案内所で続・日本100名城【鮫ヶ尾城】のスタンプを回収して攻城開始です。

 斐太歴史の里総合案内所で攻城ルートを教えてくれましたし、お茶を出してくれるのでゆっくりしたい気持ちもありますが太陽が傾いてきましたでサクサク登ります。


 こちらは、米蔵跡です。

 米蔵跡は、天正06年(西暦1578年)に発生した御館の乱(おたてのらん)で焼けた「焼き米」が出土したと紹介されています。

 鮫ヶ尾城は、正確な築城者、築城年代がわかっていません。


 鮫ヶ尾城は、堀切で切られた小さな曲輪群がT字形に並んでいます。

 天正06年(西暦1578年)、上杉謙信が死んだ後、上杉景虎と景勝で後継者争いが起こりました。これがいわゆる御館の乱ですが、この時の鮫ヶ尾城城主である堀江宗親(ほりえ むねちか)は上杉景虎側に付き、景虎を招き入れます。

 しかし、その堀江宗親は景勝側に寝返り、鮫ヶ尾城を退去します。残された影虎が篭る鮫ヶ尾城は総攻撃を受けて落城しました。


 本丸跡地の曲輪と思われます。

 新しい幟と休憩場所、案内板が設置されていました。


 本丸跡地からの展望が開けています。少し霧がかかっていますが、ロケーションは良いと思います。


 登る際は、新道を利用して登り、戻る際は旧道を使ってぐるっと一周する形で探索しています。


 ぐるっと一周するコースでも1時間余りで探索でき、堀切を中心とした遺跡を堪能できます。


 城跡の麓に、大き目の池が広がっています。

 普段釣りに興味が無くても、釣り人がいると何か釣れているのか気になってしまいます。

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