498.日本7周目その92:鳥越城と増山城


 平成30年06月26日07時スタートです。


 北陸自動車道に入って小矢部SAで朝食です。


 フードコートの富山ブラックラーメンです。

 う〜ん。イマイチでした。ご馳走様です。


 昭和の名水百選【弘法池の水】に到着です。

 弘法池の水(こうぼういけのみず)は、石川県白山市釜清水町にある湧水です。


 全国でよく見かける弘法大師空海が杖を突いたら水が湧き出たという逸話がある湧水の一つです。

 こちらは地元民に愛用されているのがわかる整備状況です。


 弘法池の水は、川底で形成された甌穴(おうけつ)から地下水が湧き出ている珍しい湧水です。

 その形状から「釜池」とも呼ばれています。


 続けて続・日本100名城【鳥越城】の攻城です。

 鳥越城(とりごえじょう)は、石川県白山市三坂町にある城跡です。


 復元された大手門が出迎えてくれます。

 現地の案内板によると、桝形門と紹介されています。


 櫓門も復元されています。

 こちらは本丸門と案内されています。土塁で桝形虎口が形成されています。


 本丸跡地に到着です。

 本丸跡地は、標高312mの山頂部に位置しています。


 大規模な堀切を隔てて曲輪が連なっています。

 現地の案内板によると、後二の丸と案内されています。


 本丸跡地からの展望です。

 田園風景が美しいです。


 本丸を囲う土塁の中で位置口近くに展望台と案内されたスペースがあります。  鳥越城は、加賀一向一揆の拠点として鈴木出羽守(すずきでわのかみ)が築城したとされています。


 天正08年(西暦1580年)織田信長の将・柴田勝家が落城させますが、翌年に一揆衆によって奪還されます。

 その後も一向一揆の抵抗は続きますが、天正10年(西暦1582年)03月01日、織田方の佐久間盛政(さくま もりまさ)によって再度、落城させられることになります。


 国の史跡【鳥越城跡 附 二曲城(ふとげじょう)跡】に指定を受けています。


 休憩小屋にあるクマ注意の案内です。

 ちょっと遅いかな。山麓に掲げた方が良いと思います。


 認定証です。コピーと思われますが、こんな風雨にさらされる場所に設置せんでも…。


 鳥越一向一揆歴史館に立ち寄って、続・日本100名城【鳥越城】のスタンプ押印です。

 鳥越一向一揆歴史館は、石川県白山市出合町26にある白山市立の資料館です。道の駅「一向一揆の里」と併設されているのでアクセスしやすいです。


 砺波市埋蔵文化財センターに到着です。

 砺波市埋蔵文化財センターは、富山県砺波市頼成566にある埋蔵文化財センターを兼ねた資料館です。

 砺波市立庄東小学校の旧寄宿舎の建物を改築して近年、開業しています。続・日本100名城【増山城】のスタンプが設置されています。


 登城記念証を頂けました。

 本当は増山城の攻城を先にして証拠写真を撮影するのがルールみたいですが、私のスタンプ帳をお見せしたら、ガチ勢認定して頂けたようで頂けました。

 こういう認定証は大好きです。


 さて、攻城に向かいましょう。


 和田川ダムの手前に車を停めて、続・日本100名城【増山城】の攻城です。

 増山城(ますやまじょう)は、富山県砺波市にある城跡です。

 砺波市埋蔵文化財センターで貰ったパンフレット片手にめぐります。大規模な堀切が見えます。


 つづら折りを登っていくと最初に出会う曲輪「一の丸」です。

 曲輪は歩きやすく整えてあります。


 展望も素晴らしいですね。

 増山城は、前身となる和田城が南北朝時代に出来たのが始まりのようです。

 戦国時代、越中国守護代として力をつけた神保氏が、越後の上杉謙信の侵攻に籠城して抵抗。一度は撃退するものの、二度目は落城しました。江戸時代になる頃、廃城となりました。


 二の丸曲輪です。城郭の縄張り的にこちらが主郭っぽいです。


 二の丸にある神水鉢です。

 神水鉢は、城内の自然石に掘られた穴で、そこに溜まった水に映る月影(つきかげ)で時刻を確認していたと現地の案内板です。


 鐘楼堂の跡地です。

 可愛いサイズの鐘がここにありました。


 この堀切、素晴らしいですね。

 こちらも難攻不落の名城と言えますね。落城してるけど。


 又兵衛清水です。

 流石にこれでは飲用禁止の案内が無くても飲用出来ないな…。


 攻城を終えて戻ります。

 目の前の施設が、和田川ダムの管理事務所です。

 折角なので、和田川ダムのダムカード頂いていきます。

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