493.日本7周目その87:米子城を登ろう!


 平成31年06月19日16時からスタートです。


 続・日本100名城【米子城】を訪ねます。

 米子城(よなごじょう)は、鳥取県米子市久米町にある城跡です。


 米子城は、戦国時代初期に山名氏が飯山(いいのやま)に築城したのが始まりとされています。

 戦国時代中期には尼子氏が、その後毛利氏が支配し、毛利氏の吉川広家(きっかわ ひろいえ)によって湊山(みなとやま)に築城され三重天守を構えたと言われています。


 江戸時代初期に伯耆国一国を領有した中村氏による米子藩の藩庁として整備され五重天守が構えたとか。

 その後藩主が転々として、池田氏の時代に明治維新を迎えました。


 おや、10分ほどで本丸跡地に到着です。

 下から見上げると大変そうに思えましたが、実際に登るとサクサクでした。

 ここに続・日本100名城【米子城】のスタンプがありました。これは劣化が進むパターンですね。


 本丸跡地からの展望です。


 天気にさえ恵まれたら素晴らしいロケーションですね。


 天守台跡地です。

 かつてはここに五重の天守閣が存在したと案内されています。


 副天守とも表現されることがある四重櫓跡です。


 本丸下から、四重櫓台の石垣を見上げています。これは立派だ。


 ぐるっと巡って二の丸跡地に降りてきました。


 二の丸跡地はテニスコートなどが整備されていました。


 いつも使ってるOUランドです。

 OUランドは、鳥取県米子市皆生温泉1丁目18-1にある皆生温泉の入浴施設です。


 カーナビ設定でコンビニ表示してみると、米子はまるでローソンの植民地ではないか。


 平成30年06月20日07時からスタートです。

 伯耆国三宮【倭文神社】を参拝です。

 倭文神社(しとりじんじゃ)は、鳥取県倉吉市志津209にある神社です。


 味のある狛犬さんです。


 倭文神社は、創建年代は不詳ですが、延喜式神名帳に記載のある式内社です。

 一宮と同一名称ですが、これは伯耆国では古来の織物である倭織(しづおり)を生業としていた人々が多く、倭文部(しとりべ)と呼んでいたことから倭文神社が多いと思われます。


 趣のある社殿です。

 宮司さんは常駐されていないようで御朱印は頂けませんでしたが、私の好きな神社です。


 中国四十九薬師霊場47番札所【東源寺】を訪ねます。

 東源寺(とうげんじ)は、鳥取県岩美郡岩美町岩井478にある天台宗の寺院です。

 東源寺は、寺名を変えながらも湯治場(岩井温泉)の守り寺として温泉とともに繁栄してきたと伝わります。


 平成29年07月20日、平成30年04月19日と2連敗しましたが、三度目の正直で御朱印を頂けました。

 中国四十九薬師霊場も残すは後一寺となりました。


 いずし観光センターを訪ねます。

 いずし観光センターは、兵庫県豊岡市出石町内町104-7にある観光案内施設、土産物屋です。目の前に有料ですが、大手前駐車場があります。

 いずし観光センターで平成30年04月19日に攻城した続・日本100名城【出石城・有子山城】のスタンプ回収です。


 続いて平成30年04月18日に攻城した続・日本100名城【福知山城】のスタンプ回収です。

 福知山城(ふくちやまじょう)は、京都府福知山市字内記5にある城跡です。復元天守の1Fにスタンプがあります。


 続いて春日住民センターを訪問して、続・日本100名城【黒井城】のスタンプ回収です。

 春日住民センターは、兵庫県丹波市春日町黒井496-2にあるコミュニティセンターです。続・日本100名城【黒井城】のスタンプが無ければ訪問する人はほぼいないでしょう。



 その後、職場に立ち寄って社用携帯と保険証を返却して、自宅に帰還しました。今日までは有給消化だったので、明日から高齢ニートの誕生です。

 今回の旅路は、34泊35日の行程でした。沖縄本島や奄美大島、五島列島、対馬ではレンタカーを使ったのでそれ以外の場所で8,990km、燃費は21.0km/Lと車中泊メインにしては上々な結果でした。

 当初の想定では、一ヶ月程度の予定でしたが、思っていた以上にじっくり見て回りたい場所が多く、また屋久島の天気を待った為、想定より時間が掛かってしまいました。取り敢えず前半戦終了です。

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