492.日本7周目その86:浜田城を登ろう!


 平成30年06月19日08時からスタートです。


 九州自動車道「吉志PA(上)」で朝食390円です。ご馳走様です。


 新しい道の駅「センザキッチン」に立ち寄ります。


 濱田護國神社(はまだごこくじんじゃ)を参拝します。

 濱田護國神社は、島根県浜田市殿町123番地30にある神社です。

 濱田護國神社は、昭和13年(西暦1938年)に浜田招魂社として建立され、翌年、濱田護国神社となりました。昭和13年(西暦1938年)は、日中戦争が激化する中で「国家総動員法」が公布・施行された年となります。


 濱田護國神社の社務所にて続・日本100名城【浜田城】のスタンプを押してから攻城開始です。

 浜田城(はまだじょう)は、島根県浜田市殿町にある城跡です。


 写真は、移築された津和野藩武家屋敷の門です。

 浜田城は、元和05年(西暦1619年)に古田重治(ふるた しげはる)が大坂の陣の功績により浜田に5万4000石を与えられ入封し、築城しました。


 城主は転々と入れ替わり、越智松平氏が城主の頃、慶応02年(西暦1866年)に第二次幕長戦争が起こり、長州軍の攻撃の前に落城しています。

 現地では特別急峻なわけでなく、浜田川に囲まれた標高68mの丘陵に位置しており、濱田護国神社からすぐに石垣跡が見えてきます。この丘陵は別名、亀山と呼ばれているため、別名、亀山城とも呼ばれています。


 小雨の中の攻城ですが、石垣が実に美しいです。

 案内板によると本丸が一番大きく、二の丸、三の丸は小振りな曲輪で本丸と連なっています。

 写真は三の丸石垣を見ている一枚です。


 三の丸から二の丸に入る所が桝形になった虎口を形成しています。

 現地案内板によると二の門と紹介されています。また左手の石垣が崩落し、土塁状になっています。


 二の丸から見た石垣が良いです。


 本丸跡地です。


 松原湾が見えます。城下町は港町だったのでしょうか。外の浦(とのうら)港と案内されています。


 天守跡地と案内があります。

 かつて天守が存在していたそうですが、明治05年(西暦1872年)の浜田地震によって倒壊したと伝わります。


 本丸跡地にある石造りの・・・なんでしょうか。これ。

 山陰地方は続・100名城にはあまり選抜されていないですが、続々・100名城が選抜される際には脚光を浴びると良いですね。


 石見国三宮【大祭天石門彦神社】を参拝です。

 大祭天石門彦神社(おおまつりあめのいわとひこじんじゃ)は、島根県浜田市相生町1571にある神社です。


 大祭天石門彦神社は、社伝によると、応神天皇(第15代陛下)の御代に、阿波忌部氏の一族が氏神として祀ったのが始まりとされています。

 地域の文化である石見神楽と深く結びついており、石見神楽定期公演の会場として使用されています。


 ちゃんぽん楽一さんで昼食にします。


 一番大きく案内されていたちゃんぽんを頂きます。ご馳走様です。

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