318.中国遠征その11:閑谷学校に行こう!
平成28年07月26日です。 |
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名神高速の吹田SAです。 本日もSAPAでスタンプを押しながら西に進みます。 |
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軽く渋滞に巻き込まれ、渋滞の出口付近、京橋PAで小休憩です。 |
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京橋PAの1Fにある海上明珠楽善園(ハイシャンミンチュウ ルウサンユェン)で早めの昼食です。 醤油ラーメンを頂きます。ご馳走様です。 |
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岡山県に入って中国三十三観音霊場3番札所【正楽寺】を参拝です。 正楽寺(しょうらくじ)は、岡山県備前市蕃山1305にある高野山真言宗の準別格本山寺院です。 |
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正楽寺は、寺伝によると、天平勝宝年間(西暦749〜756年)に報恩大師が開山したと伝えられています。報恩大師は奈良時代の仏僧で、孝謙天皇(第46代・第48代陛下)の病気平癒の褒賞として、備前国に48の寺院を建てることを許され、これらの寺院を開創したと伝えられています。 |
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閑谷学校(しずたにがっこう)を訪ねます。 閑谷学校は、岡山県備前市閑谷にある日本最古の庶民学校です。 |
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閑谷学校は、寛文10年(西暦1670年)に岡山藩によって開かれた庶民のための学校で、栃木県にある足利学校は「坂東の大学」と呼ばれた支配階級の高等教育の学校です。 こちらは講堂です。国宝に指定されています。 |
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就学年齢は8歳頃から20歳頃までと幅広く、支配階級である武士以外の農工商の子弟も教育対象とした点で日本最古と言われています。 国の特別史跡に指定されています。 |
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特筆すべきは、閑谷学校は藩の財政から独立され、学校領として学田、学林が与えられていた点です。 これは藩が転封(他の藩へ移動)や改易(領地没収)されても学校が残るようにとの配慮がされていると言えます。 |
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餌を持たない妻に集まる鯉さん。 |
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備前国元一宮【安仁神社】を参拝です。 安仁神社(あにじんじゃ)は、岡山県岡山市東区西大寺一宮895にある神社です。 |
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安仁神社の本殿です。 |
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安仁神社は、続日本後紀や延喜式神名帳に名神大社として記載されており、天慶02年(西暦939年)に起こった藤原純友の乱の際に加担したため朝廷から一宮の地位を剥奪された伝わります。 |
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私の持っている「全国一の宮御朱印帳」は先日の隠岐遠征で埋まっていますが、一宮の会に未所属の一宮とされる神社はもう一息です。 残すは屋久島の益救神社(やくじんじゃ)だけです。 |
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中国三十三観音霊場2番札所【餘慶寺】を参拝です。 餘慶寺(よけいじ)は、岡山県瀬戸内市北島1187にある天台宗の寺院です。 |
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餘慶寺は、寺伝によると、天平勝宝元年(西暦749年)に報恩大師(ほうおんだいし)が開山したと伝えられています。最盛期には7院13坊を数える大伽藍を形成していたと伝わります。 |
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風鈴の音色が心地よいですが、暑いものは暑いです。汗だくです。 |
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こちらの本尊である千手観世音菩薩は秘仏ですが、33年に1度開帳されるんだとか。 直近では平成24年(西暦2012年)11月にご開帳されたようなので、29年後か…ちょっとご縁はなさそうだ。 |
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中国三十三観音霊場1番札所【西大寺】を参拝です。 西大寺(さいだいじ)は、岡山県岡山市東区西大寺中3-8-8にある高野山真言宗の別格本山寺院です。 |
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西大寺は、寺伝によると、天平勝宝03年(西暦751年)に藤原皆足姫(ふじわら の みなたるひめ)が草庵を開基したのが始まりとされます。 |
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毎年02月第3土曜日の夜に行われる西大寺会陽(えよう)、通称・はだか祭りで知られています。日本三大奇祭の一つとされています。 |
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ガチムチな顔出し看板があったりします。 会陽は、右の写真のようなお祭りみたいですね。 |
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天気が大きく崩れて来た為、これ以上の攻略を断念し、高速道路を利用して北上します。 |
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吉備SAで早めの夕食です。 ご当地グルメとされていた「デミカツ丼」にしました。ご馳走様です。 |
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