1218.中国の旅その52:隠岐その1・島後の牛突き
令和07年10月12日08時半からのスタートです。 |
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七類港(しちるいこう)に停泊中の「フェリーおき」です。 |
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乗船手続きをします。 「フェリーおき」の御船印を購入です。2等船室で大人一人3510円です。 |
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七類港のフェリーターミナルは、多目的施設メテオプラザとなっています。 |
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日本の秘境100選【島根半島北岸】です。 自由に動けるフェリーだと出航してしばらくは、リアス式海岸となっている島根半島の北岸を眺めることが出来ます。 島根半島は、出雲国風土記に登場する「国引き神話」の舞台となっており、そういった点からも日本の秘境100選【島根半島北岸】に選定されたのかと推測しています。 |
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2時間半ほど揺られて、島後に上陸です。 まずは観光案内所で地図とご当地カードを頂きます。そして知らない現地情報がないかチェック。 |
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二人とも知らなかった油井・南谷のダムカードの情報が掲示されています。 この情報、上陸してすぐに出会えて良かった。島を離れるタイミングで知ってもどうしようもないですからね。 |
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「竹島は今も昔も隠岐の島」その通りです。 日本の土下座外交に不満を覚えながらも見慣れてしまっている世代の私ですが、私は平和主義者なので、是非、専守防衛を実行に移して欲しいものです。 |
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今回の隠岐旅は「おき得乗船券」を利用しています。 隠岐諸島での宿泊1回、体験1回することで復路のフェリー代がサービスとなる離島振興企画です。 私たちは短時間で体験できる缶バッチ作成体験を利用しました。スタッフの人の手が映っていますが、結構やってくれるので実際は絵を描くだけです。絵心に欠ける私には難題ではありますが、1000円の体験をすることで3510円の船代が浮くのはお得感があり、観光業や宿泊業をしている島民にも利益が入るので非常に良い企画です。 |
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地域印「隠岐諸島」を購入です。 |
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隠岐ドライブレンタカーさんを利用します。 右側の車です。比較的新しい車が用意されています。 |
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銚子(ちょうし)ダムを訪ねて、ダムカードを頂きます。 |
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一夜嶽(いちよだけ)奉納牛突き大会を訪ねます。 一夜嶽奉納牛突き大会は、一夜嶽神社大祭の奉納行事として開催されています。五箇牛突き保存会が主催しています。 |
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平成16年(西暦2004年)に隠岐の島町が誕生する以前は、現地は五箇村(ごかむら)という島後北西部に位置する集落で、現在、韓国が一方的に侵略・占領している竹島も隠岐の島町発足まで五箇村の一部でした。 地元の児童による演武が行われています。間に合ったようで良かった。 |
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番付表は無料で配布されており、ネットにも掲載されていました。 隠岐の島町では、モーモードームで行われる観光牛突きなどは有料ですが、神事である一夜嶽奉納牛突き大会は無料です。 ただモーモードームの開催スケジュールもなかなか変則的で、団体での観光以外だとハードルは高そうだったので間違いなく見れるだろう一夜嶽奉納牛突き大会を狙っての隠岐上陸です。 |
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隠岐の牛突きは、承久の乱で敗れ、隠岐諸島の中ノ島へ配流となった後鳥羽上皇(第82代陛下)をお慰めするために島の人々が始めたのが起源とされています。 中ノ島から隠岐諸島全域に広がり、約800年の歴史があるとされています。 児童による演武の後、地元のお偉いさんの挨拶があって、塩を撒いたりお酒を飲んだり撒いたりと、神事らしき儀式があり、牛突きが始まります。 |
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ラスト2選以外は、最初から「引分」とされており、一定時間ぶつかり合うと「引分」が宣言されて、入れ替わり対戦が続きます。 |
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順番待ちの牛さんたち。 |
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牛さんが闘争本能むき出しに「モーモー」と言うのかなと思っていたら、黙々とぶつかっているのが意外でした。 代わりに牛さんの鼻に付けた【鼻綱】を持ち、牛さんを横で鼓舞・リードする「綱取り役」の人の掛け声が威勢よく雰囲気を出しています。この「綱取り役」が付くのは全国でも隠岐の牛突きだけなんだとか。 |
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牛突きは、スピード感があり円形の舞台を行ったり来たりしたながらの戦いで、迫力があり見応えがありました。そして角が刺さって痛そう。 全体の進行もサクサク進んでいましたので最後まで見たい気持ちもありますが、時間が限られているので途中で退席です。 |