1199.長光寺城(瓶割山)を攻城しよう!


 令和07年07月27日09時からのスタートです。


 野洲市役所の宿直室を訪ねて、野洲市Aのマンホールカードを頂きます。

 マンホールカード26弾が07月25日から出たのですが、出たばかりで「のこり僅か」になっていたので貰いに来ました。きっと1ロット2,000枚の発注だったんだろうけど、滋賀県だと3ロット6,000枚位ないとすぐ無くなっちゃう印象です。

 ちょっとマンホールカードの人気に火が付きすぎていて、のんびり集めたい私からするとハードルが上がってきました。


 長光寺城(ちょうこうじじょう)跡を訪ねます。

 長光寺城は、滋賀県近江八幡市長光寺町にある城跡です。


 城跡北側にある日吉神社の駐車場が利用できました。結構広いですが、本日は私の車だけでした。

 無事登れますように。ダイエット成功しますように祈願して攻城スタートです。


 社殿横にあるここが登り口かな。


 基本的にピンク紐に従って登っていけるので迷子にはなりません。所々急登がありますが、ロープが付の親切設計です。

 ここは土橋だろうか。左手側は天然の崖っぽいが右手側は竪堀に見えます。


 小さ目の曲輪に到着。案内板があるととても安心感が生まれます。


 曲輪に到着です。さっきの案内板からするとここが「二の郭(仮)」かなと思いましたが、後に主郭跡にある案内板によると、ここは「三の郭」でした。


 土塁跡と思しき盛り土で囲まれているのがわかりますが、整備はされていないので蜘蛛の巣だらけです。


 小さ目の曲輪群を経て、竪堀と案内があります。


 竪堀と案内がありますが、尾根伝いの曲輪群を切っているわけだからここは堀切というべきじゃないだろうか。

 竪堀と言われると、山の斜面を縦断するように掘られた上下の堀のイメージを持っています。


 ここに来た時点では、三の郭が奥なら、さっき見た二の郭(仮)は四の郭(仮)だったのかなと思ったのですが、さっきのは「三の郭」です。

 ここの案内板は間違っていて←と書いてありますが、逆に→が正だと思うのです。若しくは、「旧三の郭」と表記されている場所もあるので、発掘調査などの結果「三の郭」の場所が変わったのかもしれませんが、案内がトラップ状態であるのは間違いないです。


 主郭の「一の郭」に到着です。

 思ってたより楽だったな。休憩5回位しましたが。


 現地では、長光寺城跡は瓶割山城跡とされています。

 案内板によると、元々は長光寺城と呼ばれていたものの、織田軍の将・柴田勝家が城中の水瓶を打ち割って将兵を奮い立たせて、戦勝に導いたというエピソードから瓶割山と呼ばれるようになったと。ただこのエピソード、調べてみると江戸時代の創作とも言われています。


 ちなみに「一の郭」はこんな感じで笹で埋もれており、笹の奥でそれなりのサイズ感を持った動物がカサカサ音を立てて離れていくのを見ると歩くのはちょっと怖い感じです。

 私は右手側から登ってきましたが主要ルートだったのでしょう、道がしっかり出来ています。今から真っ直ぐ進んで二の丸跡に向かいます。


 笹の中にポツンと椅子があり、そこからのロケーションです。これはとても良い風景です。北西側だと思います。

 右側の山塊、左端は八幡山城跡とロープウェイのある場所だと思います。


 「一の郭」と「二の郭」の間には大規模な堀切があります。それを土橋で連結しているように見えます。


 堀切の真ん中で一服です。

 日影かつ風が通るので良い場所でした。笹が茂っていなければ「一の郭」の椅子を使いたい所です。


 一番の見所と思われる「一の郭」北西にある高石垣です。石垣の上半分が笹に覆われていますが、6m近い高低差があります。


 「二の郭」です。

 こちらにもルートマップがあり、どうやら私は日吉神社ルートを登っていると思っていたら、違うルートを登っていたみたいで、日吉神社ルートだと最初に高石垣に出会うルートだったようだ。


 瓶割山の山頂、三角点です。

 曲輪の配置的にこの三角点の辺りが虎口だったと思われます。


 「二の郭」からのロケーションです。南側を向いていると思います。こちらも悪くないですね。

 往路と同じルートを使って下山します。


 東近江市八日市駅前観光交流施設に立ち寄って、東近江市Bのマンホールカードを頂きます。

 2回連続でカード発行とは東近江市がやる気になっているのだろうか。


 ご当地マンホールです。前回の第25弾のマンホールカードの柄です。


 こちらは八日市市時代の仕切弁です。


 亀山市立図書館を訪ねて、亀山市のマンホールカードを頂きます。


 亀山市立図書館は、亀山駅前にあり日本武尊(やまとたける)とその妻・弟橘媛(おとたちばなひめ)の像がありました。


 帰路、伊賀市の伝丸さんで遅めの昼食として味噌ラーメンを食べてお仕舞です。

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