1183.中国の旅その47:萩城詰の丸に登ろう!


 令和07年05月28日14時前からのスタートです。


 久し振りの萩市です。ぶらっと周回します。

 重要伝統的建造物群保存地区【萩市平安古地区】の再訪です。


 萩市平安古地区は【萩城】の城下町として発展した地区です。堀内地区が上級武士の武家屋敷群だとすれば、平安古地区は中級武士の武家屋敷群となります。


 重伝建の指定範囲は、萩城三の丸を囲む南側に位置しており、萩市平安古地区の中でも一部となっており、100を超える重伝建の中で最も小さい指定範囲となっています。

 西に橋本川が流れ、集落内部も鍵曲(かいまがり)と呼ばれるクランクが設けられていて、直進出来ないようになっています。


 日本百名橋【平安橋】です。

 平安橋(へいあんばし)は、山口県萩市を流れる新堀川に架かる橋です。


 新堀川は【萩城】の外堀を形成していた川になり、新堀川の内側が重要伝統的建造物群保存地区【堀内地区】となります。

 堀内地区は毛利家の重臣の屋敷が並ぶ三の丸となっており、総門が設けられており、三の丸に入るには手形が必要になり、夜間は封鎖されていました。


 現在の平安橋は、明和年間(西暦1764〜1772年)に石橋として架橋されました。平安橋の北側には「平安古乃総門址」の碑があります。


 日本の道100選【菊屋横丁】です。ここの顕彰碑が欲しかったのですが、当日何故か失念しておりました。あぁ…また再訪せねば。


 萩博物館で歴まちカードを頂きます。日本語版と英語版がありました。


 夏蜜柑の生垣を見て萩城に向かいます。


 日本100名城【萩城】、日本名城百選【萩城】です。


 萩城(はぎじょう)は、山口県萩市にある城跡です。別名、指月城です。奥に見えるのが指月山です。


 入場料は220円です。JAFカード持っていると更に安くなると思います。


 萩城は、関ヶ原の戦いに西軍として破れ、周防国・長門国の2ヶ国に減封された毛利輝元(もうり てるもと)が、【広島城】に代わる新たな居城として慶長13年(西暦1608年)に築いた城です。


 萩城は、天守を構える本丸、内堀、二の丸、中堀、三の丸、外堀と重厚な防御網に、指月山山頂には詰城にあたる詰丸(つめまる)を備えており、江戸時代の城郭にしては非常に実践的な城跡になっています。


 萩城は防御側が、石垣の上に登るための「雁木(がんぎ)」と呼ばれる石段が残っており、石垣上から鉄砲による一斉射撃を想定していたのだろうか、妄想が捗る遺構がしっかり残っています。また実際に登れるのも素晴らしいです。


 山頂にある詰丸を目指します。730mの案内があります。


 はい、詰丸です。私の足で33分でした。一般的に20分ほどのコースみたいなので私的には上々です。


 詰丸は、指月山山頂の標高143mにある城跡です。別名として萩城要害跡とも呼ばれています。


 現地では、石垣で固められた虎口から二の丸跡、本丸跡、また搦手門跡や石切の跡に加え昭和時代に復元された土塀や貯水池跡が残っています。


 本丸跡地です。


 搦手の虎口です。


 山麓には「展望台なし」と明記されていますが、萩の城下町を見下ろすことが出来ます。展望台ではないですが…十分なロケーションだと思います。


 詰丸は眺望を活かして海上を含めた周辺監視を主としていたと思われますが、石切場としても使われていたのでしょうか。本丸にこのサイズの加工中の石が残っているのは他では思い当たりません。


 山麓に戻ってきました。往復1時間ほどかかりましたが、詰丸はお勧めです。


 雁木だけでなく石垣も登れるのが素晴らしい。石垣が残っていても登れない石垣が殆どなので萩城はその点特筆すべき城跡と言えます。


 湯免ふれあいセンターに立ち寄って、湯免(ゆめん)ダムのダムカードを頂きます。

 ダムカードはまだ在庫があったため頂けましたが、既に1年ほど前から公式の配布場所は変更になっているとのことでした。


 日本の渚100選【青海島】を訪ねます。

 青海島(おおみじま/おうみじま)は、山口県長門市にある島です。


 青海大橋によって本土と繋がっています。青海島自体が、国の名勝及び天然記念物【青海島】に指定されています。


 島の北側に「船越の浜」と呼ばれる青海島海水浴場が整備されています。そこに日本の渚100選【青海島】の石碑があります。現地は有料のキャンプ場になっていました。


 本日の最後に妻のリクエストで道の駅「北浦街道 豊北」に立ち寄ってお仕舞です。

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