477.日本7周目その35:金田城を登ろう!


 平成30年05月27日。


 はい。レンタカーで林道を走って登場口へ到着です。

 他に車はなく、すれ違う車も無かったので良かったですが、林道や駐車場スペースなど観光地としての整備はまだまだで、私好みの状態でした。


 金田城(かねだじょう/かなたのき)は、長崎県対馬市美津島町にある城跡です。

 白村江の戦い(はくそんこうのたたかい/はくすきのえのたたかい)に敗れた大和朝廷が、天智天皇06年(西暦667年)、対朝鮮半島の最前線に造られた古代山城で、日本書紀にもその名が残っています。


 明治時代に旧陸軍が整備した軍道が残っており、歩きやすかったです。


 復元途中の石垣が大量にあります。

 海に繋がるロケーションも上々です。対朝鮮半島を考えるなら見張り場所としてバッチリでしょうね。


 建物の設置跡のようですね。簡易ではありますが案内板もあり良かったです。


 大分崩れていますが、石垣がしっかり残っています。


 かなりの距離に渡って石垣が連なっていた事がわかります。


 金田城壁石垣の案内板があります。


 古代山城なので1300年や1400年前の築城のはずですが、かなりの土木技術があったように見受けられます。

 将来的に復元保存されると良いですね。


 城山山頂に近づいて来ました。


 この辺りは明治時代後半から対ロシアの為に整備された旧陸軍の防衛施設です。


 廃墟マニアが喜びそうな場所ですね。


 でかい蜂がいたのでご注意下さい。


 金田城跡の石碑発見。

 やはり攻城の先には、こういう石碑が必要ですよね。


 元寇の時とかは、この湾内に元の船で埋まったのでしょうか。


 城山砲台跡地です。


 ここには、明治時代に国産された28センチ榴弾砲(りゅうだんほう)が4門(2門×2)設置されていたとか。


 天気が崩れて来ましたね。


 弾薬庫とかかな?。


 100年前も1000年前も対馬は日本の防衛ラインなんだと実感。


 厳原八幡宮神社(いづはらはちまんぐうじんじゃ)です。


 日本人ではない観光客がチラホラいらっしゃいました。


 旅の安全を祈願しました。


 今回は宮司さんがいらっしゃったので、御朱印を頂戴しました。やったね。


 レンタカーを返却して、厳原の市街地に戻ってきました。


 集落の中心を水路が走っていました。


 今晩のお宿は、民宿千両さんを使います。


 今日も良く歩いた。


 夕食は、向かいにある味処千両さん。


 めっちゃ美味しかった。

 宿泊代+食事代で4700円でした。満足。満足。


 食後、街をぶらっと。

 看板を発見。スナック比率高いな!


 猫ちゃんも良い肉付をしています。


 20時半くらいになるとすでに静かな空間が広がっており、それを邪魔するハングルの集団がチラホラ。


 街にある注意書きが基本ハングルです。

 竹島は日本固有の領土であると宣誓書を書かないと日本に入れないように法律整備して欲しいな。

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