478.日本7周目その36:小倉城を登ろう!
平成30年05月28日。 対馬でしたいことは終わったので、今日は九州本土に戻ります。 |
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何やら、川の写真を撮っている方々が。 |
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悲しいくらいハングルが並んでおります。 |
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もはや日本語すらない。 |
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厳原ターミナルに戻ってきました。 |
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帰路はジェットフォイルではなくフェリーを使います。 3,660円でした。ジェットフォイルより大分安いなぁ! |
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急いで帰っても本日は一日中、雨予報なのです。 |
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途中で壱岐島に立ち寄ります。 |
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福岡港が見えてきました。 8:50〜13:30で4時間40分の船旅となりました。 |
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テレビ西日本に立ち寄ってメダルを回収しました。 続けて、未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【津屋崎千軒】の攻略へ。 |
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再訪ではありますが、正直な感想として、特筆すべき点は見当たらなかったかな。 重伝建のような街並みではあるけれども、後一歩足りない感じの100選でした。 |
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先程立ち寄ったテレビ西日本で購入した割引お弁当を食べてから少しだけ散策します。 |
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津屋崎千軒のシンボルとなる「藍の家」は、明治34年建築の染物屋の建物をギャラリーなどとして利用されています。 かつて解体の話が持ち上がったそうですが、地域の人々の熱心な保存活動に心打たれた持ち主の方のご厚意で、福津市が無償で譲り受けたとのこと。 |
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北九州市に向かって東進します。 新・日本街路樹100景【中原−日明通り】です。 |
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以前、12月に訪問した際は、丸裸の寂しい街路樹となっていましたので再訪して写真の回収です。 |
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続・日本100名城【小倉城】の攻略に来ました。 小倉城(こくらじょう)は、現在の福岡県北九州市小倉北区にある城郭です。 |
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有料駐車場に車を停めて、公園として整備されている場内を探索します。 |
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小倉城は、豊臣秀吉の時代に、毛利(森)勝信(もうりかつのぶ)が現在見られるような縄張で総石垣造の城郭を築き、江戸時代初期に細川忠興が南蛮造の天守などを建てたと言われています。 その後、細川氏は現代の熊本県に転封となり、小倉城は江戸時代を通じて小笠原氏の居城として存続しましたが、第二次長州戦争で破れ、小倉城は、焼失しています。 小倉城は、勝山城、勝野城、指月城、湧金城、鯉ノ城などの別名が多数ある城郭です。 |
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入場料350円を払って続・日本100名城のスタンプを回収です。 |
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「迎え虎」と「送り虎」です。 |
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直径160pの太鼓がありました。写真撮影可とありましたのでパチリ。 ケヤキの一本造りで、中を刳り貫いたものだとか。 |
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ここでも茶平工業さんのメダル回収です。 |
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復元天守からの展望です。 |
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鯱と睨めっこ。 |
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ゆるキャラブームはいつまで続くのかな? |
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和布刈(めかり)公園から関門海峡と関門橋の展望です。 |
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ここは、九州最北端の太刀浦埠。 中に入れないのでここが最北端です。 |
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続けて、日本の灯台50選【部埼灯台】の攻略です。 |
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部埼灯台(へさきとうだい)は、福岡県北九州市門司区企救半島の北東端の部埼に建つ灯台です。 |
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初点灯は明治05年01月22日です。リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計です。江戸幕府がイギリスと約束した大坂条約によって建てられた5つの灯台のうち1つです。 |
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現地をぐるっと見て回ります。 |
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僧清虚火焚場跡と石碑があります。 石碑横の説明版には、清虚(せいきょ)という僧が、海難防止のために、13年間に渡ってこの地で火を焚き続けていたことが書かれています。 その後、大分方面に南下して今日はおしまいです。 |