409.中国遠征その35:広島城に登ろう!


 平成29年06月13日。

 早朝より健康診断を受けて来ました。私の年齢ではバリウムを飲まないといけません。余裕で有給取得しました。


 バリウムの影響が大きいので、コンスタントにトイレがある高速道路を走ります。

 昼食に名塩ラーメンです。

 名塩ラーメンというものを初めて見たのでぐぐってみましたが、上位陣は「西宮名塩サービスエリア(下り線)」ばかりでした。なるほど。


 しっかりトイレめぐりをしながら中国自動車道を抜け、浜田自動車道を北上し島根県の道の駅「サンピコごうつ」です。

 今晩はここで就寝です。


 平成29年06月14日。

 琴ヶ浜の砂浜です。


 残したい日本の音風景100選【琴ヶ浜海岸の鳴き砂】に選ばれており、写真撮影に来たようなものです。

 京都府の琴引浜同様、晴れの日に訪問すれば一年中楽しめます。早朝に訪問したためかキュキュキュと鳴る砂浜には、釣りを楽しんでいるおぢさんが一人いただけでした。


 多鳩神社(たばとんじゃ)です。


 石見国二宮として調べて来ました。

 山間の小さな集落の細い道を進むとその終点に立派な神門が見えてきます。


 苔の生す境内の中に進むと、二本の杉が並ぶ拝殿があります。


 一番左奥にあるのが本殿とされる神様の鎮座されている場所です。

 右の屋根だけが映っているのが一つ上の写真にある拝殿です。普通はここでお参りします。

 本殿と拝殿を繋ぐ回廊を幣殿(へいでん)と呼びますが、ここまで長い回廊の神社はとても珍しいです。


 道の駅「ゆうひパーク浜田」まで戻ってきました。


 ここで早めの昼食を頂きました。

 そして発注してから思い出しました。ここ、あんまり美味しくなかったんだ。

 …うん、あんまり美味しくなかった。今度こそ、覚えておこうと自分に誓って次のスポットへ。


 道の駅「ゆうひパーク浜田」から日本海側の展望。


 護国山(ごこくさん)長福寺(ちょうふくじ)です。

 保育園が併設してあり、元気な子供たちが砂遊びをしていました。


 中国四十九薬師霊場34番札所として参拝です。


 広島県に入って新日山(にいやま)安国寺(あんこくじ)不動院(ふどういん)です。


 立派な阿吽の像が出迎えてくれます。

 不動院という名称の寺院ですが、本尊は平安時代の作とされる薬師如来像です。


 中国四十九薬師霊場21番札所として参拝です。


 広島護國神社です。

 現在の広島城の敷地はこちらの広島護國神社の敷地のようで、こちらの駐車場を使わせて頂きます。以前訪問した際に御朱印も頂戴しているので今回は参拝だけです。


 広島城です。

 天正17年(西暦1589年)、毛利輝元が太田川の中州の埋め立てによって築城し、関ヶ原の戦いの後、福島正則が城郭を増築し、浅野氏の下、明治維新を迎えました。

 大東亜戦争末期、原子爆弾により破却されました。現在の城郭は、昭和33年(西暦1958年)に再建された鉄骨鉄筋コンクリート造の城郭になります。


 天守閣からの南側の展望です。

 堀の奥に広島平和記念資料館(原爆資料館)が見えます。これから行く場所です。


 広島平和記念公園です。

 以前も少し書いた気がしますが、私は若い頃、この平和記念公園を訪問した際、ここにある石碑の、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」との言葉が許せず立ち去った思い出があります。

 前回の訪問時も元妻を同行しておりましたので、この石碑は回避していました。

 パールハーバーは在米日本大使館の失敗があったのは事実ではあるものの、敵国の軍艦、戦闘機をターゲットにした強襲攻撃(が奇襲攻撃になった)ことと、軍隊でもなく軍艦でもない、銃後の女子供をターゲットに無慈悲に焼き殺した原子爆弾投下が対等な存在であるわけがない。

 そんな行為を正義とは呼ばない。許されない行為をしたのは日本人ではない。


 広島平和記念資料館です。

 入場料は200円でした。こちらも元妻との旅行の際は、重い空気にしたくなかったので回避した場所でした。独り身になったので訪問しました。


 広島に投下されたリトルボーイや長崎に投下されたファットマンの模型や、現地の被爆前と被爆後の対比を主体とした映像や作品が多かったです。


 日本の道100戦【平和大通り】です。

 広島市の中心を東西に走る大通りで、広島平和記念資料館の前も走っています。

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