408.中国遠征その34:福山城に登ろう!


 平成29年06月01日。

 新しい道の駅「世羅」から本日のスタートです。


 私の中国エリア道の駅めぐりも広島県を残すだけです。


 こちらも新しい道の駅「びんご府中」です。


 新熊野山(しんくまのさん)東方院(とうほういん)薬師寺(やくしじ)です。


 立派な山門の中には鐘楼がありました。


 中国四十九薬師霊場15番札所として参拝です。


 草戸稲荷神社(くさどいなりじんじゃ)です。


 三大稲荷の8社目となります。

 草戸稲荷神社では、伏見、豊川、草戸を三大稲荷にしているのだとか。

 見ての通り、鉄筋コンクリート造の神社になります。珍しいですよね。


 広島県内でも広島護国神社についで二番目に参拝者が多く初詣には約40万人が参拝するそうです。


 境内から福山市内を展望できます。


 続いて福山城内にある三蔵稲荷神社(さんぞういなりじんじゃ)です。


 能舞台があります。


 御朱印もキッチリ頂きます。


 日本100名城の一つ、福山城です。

 元和05年(西暦1619年)、福島正則が改易された後、徳川家康の従兄弟である水野勝成が備後福山藩10万石として入封しました。


 水野家というのはあまりメジャーとは言えませんが、元々歴史の教科書に桶狭間の戦いや徳川独立の時代の頃を織田が尾張、徳川が三河とアバウトに載っていますが、実際尾張の東と三河の西は水野家の領土で、当初は家臣というより同盟相手でした。

 元和08年(西暦1622年)に福山城は完成しますが、幕府の公金が支出されており、基本的には西国の外様大名を監視する役として立派な城郭を整えさせたのだと思います。10万石の藩主としては破格の城郭と言えます。


 こちらでも茶平工業のメダルを回収しました。

 天守閣に入り込んでいた鳩さんが我が物顔で椅子を占領していました。


 福山城跡は国の史跡に指定されています。

 別名に久松城(ひさまつじょう)、葦陽城(いようじょう)などがあります。


 月照山(がっしょうさん)日光寺(にっこうじ)です。


 中国四十九薬師霊場10番札所として参拝です。

 境内から、瀬戸内海の島々を楽しめます。こういう場所に住んでみたいと思ったりしながら時間と相談。

 そろそろ帰らないと。


 道の駅「笠岡ベイファーム」です。

 一面を赤く染めるポピー畑です。


 山陽自動車道の道口PAで尾道ラーメンとチャーシュー丼で昼食。

 宝塚の渋滞が始まる前に抜けれて、二泊三日923kmの旅路でした。燃費は20.1km/l。最近タイヤが疲れてきたのか、燃費が下降傾向です。20km/lを切ったらタイヤ交換しようかな。

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