1080.天王山の戦い!


 令和06年07月25日07時からのスタートです。


 今日は天王山(てんのうざん)に登るために大山崎にやってまいりました。


 歴史街道の案内があります。


 ご当地マンホールです。


 アサヒビール大山崎山荘美術館側に向かって進むと、天王山ハイキングコース陶板絵図「秀吉の道」が出てきます。


 こちらが登山口です。


 看板を右に進みます。


 2つ目の秀吉の道です。


 青木葉谷展望広場です。ロケーションは上々です。大体半分くらい登った所でしょうか。


 旗立松です。

 秀吉軍が自軍の士気を高めるため、老松の樹上高くに旗印を掲げたエピソードがあります。現在の松は6代目なのだとか。


 大きな鳥居と出会います。ここに展望台がありますが、東向きなので早朝は逆光になってしまいます。


 近年は、「山崎の戦い」「山崎合戦」と呼ばれるようになりましたが、古来「天王山の戦い」と呼ばれており、慣用句にもなっています。


 3つ目と4つ目の秀吉の道です。ここで一休憩です。


 「十七烈士の墓」です。

 元治元年(西暦1864年)に起こった禁門の変(蛤御門の変)で自刃した17名が祭られています。


 あともう一息かな。


 5つ目の秀吉の道です。


 自玉手(たまでより)祭来(まつりきたる)酒解(さかとけ)神社です。とても読みにくいですね。


 ようやく山頂の本丸跡に到着です。


 最後の秀吉の道です。


 天守跡地と思われる場所です。


 山頂地です。沢山休憩しながら1時間半ほどかけて登頂しました。身軽な方だと1時間掛からず登れると思います。


 本丸跡地の隣に広がる曲輪跡です。


 こちらは井戸跡です。


 青木葉谷展望広場まで下ってきて、一服です。


 宝積寺(ほうしゃくじ)に立ち寄ります。


 こちらでは登頂証明書を購入できます。


 往路とは違う道を選びましたが、宝積寺ルートはとても急な坂でした。


 日本百名橋【上津屋橋(流れ橋)】を訪ねます。


 上津屋橋(こうづやばし)は、京都府八幡市を流れる木津川に架かる橋です。

 上津屋橋は、川が増水すると橋桁が流される構造を持つ流れ橋(ながればし)として知られています。昭和28年の架橋で、架橋以来23回、平均して3年に1回のペースで流されています。日本最長級の木橋となります。


 欄干(らんかん)がなく、丸太で組んだ橋脚の上に橋桁を渡しただけの素朴な姿から、時代劇のロケーション撮影地としても有名で、観光客は意外と多く歩いています。流れ橋周辺には、お茶栽培が盛んで日本遺産【日本茶800年の歴史散歩】の認定も受けています。


 「やまびこ」さんに立ち寄ってうどんを食べて本日はお仕舞です。

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