1024.中部の旅その63:トヨタ産業技術記念館に行こう!


 令和06年01月16日09時前からのスタートです。


 海津市役所を訪ねます。


 海津市のマンホールカードを頂きます。


 赤目城(あかめじょう)跡を訪ねます。


 赤目城は、愛知県愛西市赤目町にある城跡で、代々尾張徳川家の重臣だった横井氏が城主とされており、現在は赤城神社となっています。


 愛西市観光協会に立ち寄って、愛西市のマンホールカードを頂きます。


 続いて大治町役場を訪ねます。


 大治町のマンホールカードを頂きます。


 日本百名橋【枇杷島橋】を訪ねます。


 がっつり工事中やし。

 枇杷島橋(びわじまばし)は、愛知県名古屋市を流れる庄内川(しょうないがわ)に架かる橋です。


   枇杷島橋は、元和08年(西暦1622年)、初代尾張藩主・徳川義直が架橋したのが始まりとされています。

 当時は庄内川に中島があり、現在の橋になるまで東の大橋と西の小橋で構成されていました。


 昭和31年、現在の枇杷島橋が愛知県により架橋。

 令和03年10月、枇杷島橋改築工事が始まり、現地訪問時には交通が仮橋に切り替わっていました。


 公共建築百選【トヨタ産業技術記念館】を訪ねます。


 トヨタ産業技術記念館(さんぎょうぎじゅつきねんかん)は、愛知県名古屋市西区則武新町四丁目1-35にある博物館です。


 トヨタ産業技術記念館は、当初トヨタテクノミュージアム産業技術記念館と名付けられていましたが、開館20周年を節目に現行の名称に変更となりました。


 大人一人500円でした。


 トヨタグループの歴史や技術を展示する博物館で、「繊維機械館」と「自動車館」の2本立てです。


 日本を代表する企業であるトヨタの出発点からの軌跡が過去の商品展示とともに案内されています。

 簡単に言うと、豊田商店から豊田自動織布工場に発展させて、トヨタ自動車になった。前半戦は豊田佐吉さんは発明王、という流れです。


 とても近代的なエリア。


 ここから後半戦です。所々に、自動車産業の基盤を築いた、豊田喜一郎さん、すごいんや。というエピソードが盛り込まれています。


 留学生らしき方々を中心に外国人を多く見かけました。私自身もずっとトヨタ車を愛用しているものの実はそんなに車に興味や造詣があるわけではなく、「そうなんや、ふーん」程度に見て周っているわけですが、外国人の真剣な眼差しを見ると、何かいたたまれない気持ちになります。すまんな。公共建築百選だから訪ねたんや。


 現在の丸みを帯びた車よりも昭和感溢れる角ばった車が展示されています。


 自動で車が組み立てられるコーナーです。


 公共建築百選【トヨタ産業技術記念館】の顕彰碑が発見できず、受付の方と警備員の方に声をかけましたが、エントランスのパネル展示の奥にあるのではないか、とのこと。パネル展示が終わったらまた来ようかな。

 子供向けのコーナーもあり、折角なので乗っておきました。


 日本百名橋【納屋橋】を訪ねます。


 納屋橋(なやばし)は、愛知県名古屋市を流れる堀川(ほりかわ)に架かる橋です。


 慶長15年(西暦1610年)、堀川掘削とともに架けられた「堀川七橋」の1つです。


 明治31年、鉄骨製の橋に改修され、昭和56年、現在の納屋橋が架橋されました。


 昼食にうなぎ和食しら河さんに立ち寄ります。


 久し振りのひつまぶしを頂きます。

 農山漁村の郷土料理百選としての訪問です。「上ひつまぶし」だったかな。お値段はそれなりにしますが、美味しかったです。

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