531.日本7周目その125:向羽黒山城を登ろう!


 平成30年07月12日07時からスタートです。


 道の駅「ばんだい」に立ち寄ります。


 向羽黒山城跡整備資料室です。

 向羽黒山城跡整備資料室は、福島県大沼郡(おおぬまぐん)会津美里町字瀬戸町3208-5にある資料館です。施設前に続・日本100名城【向羽黒山城】のスタンプが設置されています。こちらは終日押印可能な様子でした。


 続・日本100名城【向羽黒山城】の攻城開始です。

 向羽黒山城(むかいはぐろやまじょう)は、福島県大沼郡会津美里町にある城跡です。

 現地には、堀跡と案内されていますが、遺構表示板を設置してくれるのはありがたいですが、こういうのは竪堀って言うんじゃなかろうか。まぁ竪堀も堀の一種ではあるので間違いではないでしょうが。


 虎口跡です。土塁に囲まれ桝形を形成しているのがわかります。

 向羽黒山城は、永禄11年(西暦1568年)に蘆名盛氏(あしな もりうじ)によって築城されました。


 土塁と堀です。

 天正17年(西暦1589年)、摺上原の戦い(すりあげはらのたたかい)で蘆名氏は伊達政宗に敗れ、滅んでしまいます。慶長06年(西暦1601年)、廃城となりました。


 向羽黒山城では、本丸と表記されておらず、一曲輪、二曲輪、三曲輪と表現されていましたが、一曲輪が主郭と思われます。


 本丸跡地からの展望です。素晴らしい。


 現地はかつての蘆名氏の隆盛を偲ばせる見事な山城でした。

 駐車場から整備された階段や案内板を伝って主郭まで攻城できます。山城も良いものだなぁと思わせてくれる城跡でした。国の史跡【向羽黒山城跡】として指定されています。


 日本100名城【会津若松城】を訪ねます。

 会津若松城(あいづわかまつじょう)は、福島県会津若松市追手町にある城跡です。


 会津若松城は、南北朝時代に蘆名氏7代目当主・蘆名直盛(あしな なおもり)が居を構えたのが始まりとされています。

 その後、伊達政宗を経て、蒲生氏郷が城郭を整備し、地名を「黒川」から「若松」と改名しました。


 江戸時代初期に、保科氏(後に松平性に改め、会津松平氏)が入り、明治維新を迎えました。戊辰戦争(会津戦争)では新政府軍の攻撃に約一ヶ月間、持ち応えました。


 今回は、御城印を頂きました。


 道の駅「奥会津かねやま」に立ち寄ります。


 道の駅「奥会津かねやま」でソースカツ丼ダブルを注文しました。ご馳走様です。


 道の駅「からむし織の里しょうわ」に立ち寄ります。


 残したい日本の音風景100選【からむし織のはた音】です。

 からむし織は、福島県大沼郡(おおぬまぐん)昭和村の伝統産業です。


 からむしは、イラクサ科の多年草で、シソに似た葉の形をしており、苧麻(ちょま)とも言われます。上布の原料として昭和村で栽培が続けられています。


 現地では、道の駅「からむし織の里しょうわ」として整備されており、資料館と共に体験コーナーなどが用意されています。

 例年07月20日前後からお盆までにからむしの刈り取りが行なわれており、昭和村ではその作業の様子が見られます。

 余談ですが、昭和村は福島県以外に群馬県にもあります。


 道の駅「尾瀬檜枝岐」、「番屋」、「日光」に立ち寄ります。


 日本の道100選【日光街道】&新・日本街路樹100景【日光杉並木】です。

 日光街道(にっこうかいどう)は、江戸時代に整備された五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の一つです。


 日光街道は、江戸の【日本橋】を起点に、徳川家康が眠る日光までの約140qの街道です。道中には21の宿場が置かれていました。

 現地では、国道119号線となっており交通量も一定ありますが、旧道と共に立派な杉並木が残されています。


 北関東自動車道「出流原PA(上)」に立ち寄ってスタンプを回収しようとしましたがありませんでした。


 北関東自動車道「波志江PA(上)」に立ち寄ってスタンプを回収です。

 上信越自動車道「甘楽PA(下)」に立ち寄ってスタンプを回収です。


 上信越自動車道「甘楽PA(下)」で夕食にします。特性ラーメン730円を注文です。ご馳走様です。


 上信越自動車道「佐久平PA(上)」「東部湯の丸SA(上)」「千曲川さかきPA(上)」に立ち寄ってスタンプを回収です。

 長野自動車道「姨捨SA(上)」「梓川SA(上)」「みどり湖PA(上)」に立ち寄ってスタンプを回収です。

 くたびれたのでここでお仕舞いです。

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