527.日本7周目その121:九戸城を歩こう!


 平成30年07月10日07時からスタートです。


 秋田県から岩手県に抜けて、新・日本街路樹100景【鍋屋敷の松並木】です。

 鍋屋敷の松並木(なべやしきのまつなみき)は、岩手県盛岡市にある国道4号線沿いの街路樹です。


 新・日本街路樹100景の中でもマイナーで、情報が少ない印象です。現地では、道路網の整備が進み、バイパスの間に残っている、そんな印象でした。


 二戸市埋蔵文化財センターに立ち寄り、続・日本100名城【九戸城】のスタンプ回収です。

 二戸市埋蔵文化財センター岩手県二戸市福岡八幡下11-1にある施設です。九戸城について解説スペースがあります。


 続・日本100名城【九戸城】です。

 九戸城(くのへじょう)は、岩手県二戸市福岡城ノ内にある城跡です。


 本丸虎口跡です。

 大規模な堀を超えて本丸跡地は二の丸より一段高い所に位置しており、東と南側を二の丸が守っている梯郭式の城郭と言えます。


 本丸を守る苔生す石垣です。

 九戸城は、明応年間(西暦1492〜1501年)頃、南部氏の一族である九戸氏による築城とされています。

 九戸城は、三方を川に囲まれた天然の要害で、東北最古とみられる石垣遺構が残っています。国の史跡【九戸城跡】です。


 本丸を守る大規模な空堀です。

 九戸政実(くのへ まさざね)の乱が鎮圧された後、蒲生氏郷によって改修されて一時期南部宗家の本城となりました。

 盛岡城築城に伴い、寛永13年(西暦1636年)には廃城となりました。


 発掘調査によって、本丸跡地の盛土から、焼けた生活用品や火縄銃の弾丸が出土したことから、現在の本丸跡は、九戸政実の乱の後に、再整備された福岡城の本丸跡であることがわかっています。

 この様な経緯から、本来は「福岡城」なんですが、地元民も専門家も「九戸城」と呼んでいます。まぁ分かりやすいしね。


 「九戸城本丸跡」と明記された石碑です。

 本丸は、100m四方の正方形になっており、現地では復元保存作業が急ピッチで行われている感じです。


 本丸側の土塁ですが、足元は石垣になっています。


 道の駅「おりつめ」に立ち寄ります。


 道の駅「おりつめ」で遅めの朝食にお弁当を購入です。


 道の駅「のだ」に立ち寄ります。


 日本の灯台50選【陸中黒埼灯台】です。

 陸中黒埼灯台(りくちゅうくろさきとうだい)は、岩手県下閉伊郡(しもへいぐん)普代村(ふだいむら)の太平洋に突き出した黒崎に建つ灯台です。


 陸中黒埼灯台の初点灯は昭和22年(西暦1947年)04月17日です。当初は黒崎漁業協同組合の「譜代灯柱」として設置されました。

 その後、国に移管され昭和27年(西暦1952年)、「普代灯台」に改称、昭和41年(西暦1966年)に現在の「陸中黒埼灯台」に改称されました。


 北緯40度線上の灯台として、日本海側の秋田県男鹿半島の北端にある【入道埼灯台】と対をなしています。

 現地のロケーションは、まぁ普通に太平洋が広がっている…ところです。


 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【机浜漁村番屋群】です。

 机浜(つくえはま)番屋群(ばんやぐん)は、岩手県下閉伊郡田野畑村(たのはたむら)142-3にある建物群です。


 机浜番屋群は、机浜漁港の海岸から100mほど離れたた所にあり、漁の拠点として作業場や漁具置き場、土間などの居住空間があります。


 かつては昭和08年(西暦1933年)の三陸津波の後に建てられた25棟で構成されていた建物群でした。

 平成23年(西暦2011年)03月11日の東日本大震災の大津波により流失しましたが、再度、22棟の木造番屋群として再建されました。


 しかし、当日の観光客は私一人で漁村の原風景というより寂しい観光地という印象です。

 折角、再建した建物群なので、是非、有効活用して観光に活用してもらいたいものです。しかし、漁村番屋が一般に興味深い観光地となることはないだろうな。

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