496.日本7周目その90:福井城と越前大野城


 平成30年06月25日07時からスタートです。


 道の駅「河野」からスタートです。


 越前国南条郡二宮【大塩八幡宮】を参拝です。

 大塩八幡宮(おおしおはちまんぐう)は、福井県越前市国兼22-2にある神社です。


 石段が続く参道を経て拝殿が見えてきました。

 北海道まで無事辿り着きますように(お参り)。

 宮司さんはいらっしゃらないようで、御朱印は頂けず。


 拝殿奥にあった本殿です。

 大塩八幡宮は、仁和03年(西暦887年)の創建と伝えられています。

 越前国南条郡の郡内二宮と呼ばれた説と越前国二宮とされた説がありますが、前者が有力です。


 越前国二宮【劔神社】を参拝です。

 劔神社(つるぎじんじゃ)は、福井県丹生郡越前町織田113-1にある神社です。

 劔神社の駐車場から向かうと北参道となります。


 劔神社は、地元では織田明神(おたみょうじん)と呼ばれているそう。

 織田信長の祖先は、この地の荘官、劔神社の神官を務めていたとされており、織田信長も劒神社を氏神として保護しました。


 こちらでも旅の安全を祈願します。


 ご朱印も頂きました。

 「越前二の宮」の印が押されています。


 続・日本100名城【福井城】に到着です。

 福井城(ふくいじょう)は、福井県福井市にある城跡です。


 福井城は、朝倉氏が滅ぼされた後、柴田勝家が築城したのが始まりです。

 賤ヶ岳の戦いで柴田氏が滅亡し、関ヶ原の戦いの後、結城秀康が越前に入封して、新たに天下普請で築城されたのが現在の縄張りとされています。


 現在は、本丸の中にどっしり福井県庁があります。他に、福井県警察本部があります。

 続・日本100名城【福井城】のスタンプも県庁内にあります。


 結城秀康の騎馬像です。

 私は結構、この人好きなんですよね。恵まれた生まれなのに恵まれなかった人生、そんな武将です。


 天守台の石垣です。

 世代の違う石垣で補修された跡があります。

 完成当初は、望楼型4重5階の天守が建てられていたと伝わりますが、寛文09年(西暦1669年)に焼失しています。


 こちらは控(ひかえ)天守台跡です。

 小天守台とも表現されていますが、現地の案内板では、控天守台跡と案内されています。


 昭和23年(西暦1948年)の福井地震の影響で、石垣が沈んでいると解説されています。


 こちらは復元された御廊下橋です。


 この石垣も福井地震の影響が一目でわかりますね。

 流石にここまで崩れかかっていたら危ないと思うんですが、70年も放置されている理由は何でしょうか。


 続けて続・日本100名城【越前大野城】の攻城です。

 越前大野城(えちぜんおおのじょう)は、福井県大野市城町3-109にある城跡です。

 越前大野城は、天正02年(西暦1574年)、越前の一向一揆平定に貢献した金森長近(かなもり ながちか)が褒美として越前大野郡の3分の2が与えられ、築城したのが始まりとされています。


 写真に模擬天守を写そうと思うと石垣があまり見えず。

 石垣を写そうとすると、模擬天守が木に隠れてしまい城感のある写真が撮りにくいです。


 模擬天守です。

 越前大野城の城下町は、湧水地が多く点在しており、水の郷として知られています。

 現地では、地下水の水位を表示する看板が至る所に設置されています。城下町を東西に貫く七間(しちけん)通りで、春分の日から大みそかまでの毎朝、市が開かれています。七間朝市と呼ばれています。


 天守台からの展望です。

 こちらは市街化されています。


 こちらは田園風景が広がっています。


 攻城を終えて駐車場に戻ってくると、地元民の方から車に地元風景を撮影した写真と歓迎のコメントが置かれていました。

 きっと地元愛の強い方なんでしょうね。素直に嬉しいです。


 昭和の名水百選【御清水】です。

 御清水(おしょうず)は、福井県大野市泉町にある湧水です。


 御清水は、古くはお殿様のご用水として使われていたことから、殿様清水とも呼ばれています。

 越前大野城の麓には観光客用の駐車スペースが沢山用意されており、じっくり探索できる環境が整えてあります。


 昼食に「はいから茶屋」さんに立ち寄ります。

 はいから茶屋さんは、福井県大野市元町1-2にあるレトロな洋館の飲食店です。

 昭和12年(西暦1937年)に完成した繊維組合の検査場跡を利用して営業しているのだそう。国の登録有形文化財に登録されています。


 日替わり定食だったかな。

 美味しかったです。ご馳走様です。

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