442.日本7周目その37:久留米城を歩こう!


 平成30年05月26日の午後からスタートです。


 道の駅「たちばな」に立ち寄ります。


 重要伝統的建造物群保存地区【八女市八女福島】です。

 八女市八女福島(やめふくしま)地区は、福岡県八女市八女福島にある伝統的建造物群保存地区です。


 八女市八女福島地区は、福島城の城下町として町割り、整備された地区です。

 城主は、関ヶ原の戦いにおいて石田三成捕縛の功をあげた田中吉正(たなか よしまさ)です。ただ息子の代で改易となり、福島城も廃城となっています。


 福島城は廃城となった後も、交通の要所として発展を続け、現在も白壁土蔵造りの街並みが残っています。

 後一歩、電柱は地中化して欲しいですね。


 篠山神社を参拝します。

 篠山神社は、福岡県久留米市篠山町にある神社です。

 篠山神社は、明治10年(西暦1877年)に、久留米城跡に久留米藩藩主・有馬氏5代を祭神として建立された神社です。続・日本100名城【久留米城】のスタンプ設置場所となります。


 久留米城(くるめじょう)は、現在の福岡県久留米市篠山町に築かれた城跡です。

 篠山神社は、本丸跡地に鎮座していますので、南にある大手門側に来ました。 本丸入口の大手門は、冠木御門跡です。石垣造りの桝形になっています。ここから時計回りに探索します。


 本丸跡地の石碑を発見してから、左手側(西側)にある太鼓櫓跡です。

 太鼓櫓は、本丸南にあった三重櫓で現在は松の木の麓に石碑が建立されています。

 久留米城は、在郷の土豪勢力が築いた篠原城が始まりとされています。


 久留米城の北側から西側にかけてに筑後川が東から西へ流れています。

 筑後川を外堀に見立てている構造であり、筑後川から水を引いて内堀を水堀にしていたと思われます。


 本丸の西側には、篠山神社の社務所があり、その先、本丸北西側に乾櫓跡があります。

 全方位が石垣によって固められています。


 本丸東側は、現在久留米大学のグランドになっています。


 高低差を感じる立派な石垣が現存しています。


 左手が月見櫓跡です。

 月見櫓は、本丸東側に配置された櫓です。ここにも駐車場があったのか。一部月極になっていましたので駐車スペースは少な目です。


 月見櫓の隣も枡形虎口になっており出入り可能です。


 月見櫓を支える石垣です。ここの石垣、特に良いです。

 駐車禁止の看板があるおかげで、石垣の高さがわかりやすいです。


 久留米城は、豊臣秀吉の九州平定の後、大友宗麟の娘婿である毛利秀包が入城し、石垣や天守などを整備しましたが関ヶ原の戦いで西軍に付いた為に、改易となりました。


 関ヶ原の戦い後、田中吉政(たなか よしまさ)が入り、元和07年(西暦1621年)からは有馬氏が明治維新まで治めました。

 現在、二の丸や三の丸はブリヂストン久留米工場の敷地となっています。


 本丸南側にある大手側から見た内堀です。ここからも筑後川が見えています。

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