441.日本7周目その36:鯛生金山に行こう!
平成30年05月26日の早朝からスタートです。 |
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慈恩の滝から県道を南下して、平成の名水百選【下園妙見様湧水】です。 下園妙見様湧水(しものそのみょうけんさまゆうすい)は、大分県玖珠郡玖珠町にある湧水です。 |
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下園妙見様湧水は、万年山(はねやま)の湧水で、妙見社の境内から湧き出ています。現在も地元の飲料水や生活用水として活用されているようです。 苔生す水場が広がっており、良い雰囲気の場所です。 |
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県道から西に抜けて、道の駅「水辺の郷おおやま」に立ち寄ります。 |
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道の駅「小国」に立ち寄ります。 |
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道の駅「せせらぎ郷かみつえ」に立ち寄ります。 |
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道の駅「鯛生金山」に立ち寄ります。 |
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鯛生金山(たいおきんざん)の坑道見学をする事が出来ます。 お一人様1,030円です。私にとっては、佐渡金山、石見銀山についで三つ目の鉱山坑道体験です。 |
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鯛生金山は、明治31年(西暦1898年)から昭和47年(西暦1972年)にかけて採掘された金鉱山です。 こちらの右に立っているイギリス人のハンス・ハンターさんが大正07年(西暦1918年)に鉱業権を得て、鯛生金山株式会社を設立、近代的な採掘設備を導入して本格的な開発が始まったと現地の解説より。 |
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江戸時代の開発記録が主体であった佐渡金山と違って、重機が沢山登場するのが鯛生金山の特徴でしょうか。 |
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鯛生金山は、昭和初期には、佐渡金山を上回る産出量を誇り、全国から約3,000人にも労働者が集まったのだとか。 |
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のぞいてみてください、とあるので、ドレドレ。 |
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底が見えないですね。200mほどの深さがあると案内板にありました。 |
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観光坑道は800mほどあり、のんびり見て回ることが出来ます。 |
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急に雰囲気が変わってイルミネーションフロアが出てきて驚きました。 場違いな感じもしますが、色々工夫して集客を増やそうとしているんでしょうね。 |
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今度は、山神社と書かれた幟と小さな社が出てきました。 |
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雌雄一対の黄金鯛です。 これは私が子供の頃、当時の首相の竹下登さんが、各市町村に1億円をばら撒いて「好きに使え」という面白い景気対策を行なった時に造られたものです。正式名称は「自ら考え自ら行う地域づくり事業」です。 実際の純金製が飾られていたものの、雄の鯛が盗まれて、犯人が捕まったときには、金鯛は溶かされて売却された後だったとか。その後、レプリカの黄金鯛を飾っているのだそう。 |
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残った本物の雌の金鯛は三菱マテリアルに売却され、金の値上がりによって雌だけで投資額が回収されたとかサイドエピソードがありました。 |
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熊本県山鹿市に入って温故創生館に到着です。 温故創生館は、熊本県山鹿市菊鹿町米原443-1にある鞠智城の紹介施設、資料館です。 |
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温故創生館に続・日本100名城【鞠智城】の認定証が飾られています。 こちらでスタンプも押印です。 |
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日本100名城【鞠智城】です。 鞠智城(きくちじょう/くくちのき)は、熊本県の山鹿市(やまがし)と菊池市にまたがる丘陵地にある城跡です。 平安時代初期の「続日本紀」によると「大宰府をして大野、基肄、鞠智の三城を繕治せしむ」とあり、文武天皇02年(西暦698年)頃に修復したことがわかります。 |
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長年、発掘調査が行われており、八角形建物跡をはじめとする72棟の建物跡や土塁跡が発見されています。 現在、その発掘調査に基づいて八角形鼓楼や米倉が復元されています。 復元がなければ、丘陵の原っぱに見える場所なので、頑張って欲しいですね。国の史跡【鞠智城跡】です。 |
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鞠智城跡からの展望です。 |
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道の駅「鹿北」に立ち寄って昼食にします。 |
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毎度おおきに食堂みたいなお店でした。 地元のおふくろの味「だご汁」推しが凄かったので、食べてみましたが、私の好みではなかったな。ご馳走様です。 |
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