207.日本6周目の旅その89:四国最西端・佐田岬


 平成26年05月02日です。


 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【水が浦の段々畑】を訪問です。

 水荷浦の段畑(みずがうらのだんばた)は、愛媛県宇和島市遊子にある石垣造りの段々畑です。

 整然と並ぶその姿はとても美しい光景です。全国でも稀有な例と言えるでしょう。漁村なので漁業メインかと思いきや、漁獲したイワシを肥料にしてジャガイモを作っているのだとか。


 急斜面の上から漁港に向かっての一枚です。


 四国ぼけ封じ三十三観音霊場15番札所【臨江寺】を参拝です。

 臨江寺は、愛媛県宇和島市津島町岩松830にある臨済宗妙心寺派の寺院です。

 臨江寺は、寺伝によると、元々黄檗宗でしたが享保02年(西暦1717年)に関龍和尚を迎え、開山し、臨済宗妙心寺派となったと伝わります。現在でも地元では「おおばく様のお寺」と呼ばれ親しまれているそう。


 日本100名城【宇和島城】の再訪です。

 宇和島城(うわじまじょう)は、愛媛県宇和島市丸之内にある城郭です。

 嘉禎02年(西暦1236年)、西園寺公経(さいおんじ きんつね)が築いた砦が始まりとされています。文禄04年(西暦1595年)、藤堂高虎が入って築城を開始しました。


 宇和島城の天守からパチリ。小学生がワイワイ遠足を楽しんでいました。

 慶長19年(西暦1614年)、伊達秀宗(だて ひでむね/伊達政宗の長男)が10万石で入封し、現在残っている天守は宇和島伊達氏が改修したものです。

 本丸の石垣が、修繕の結果、世代違いの石垣になっているのが印象的です。国の史跡【宇和島城】にして、現存中に天守の一つです。


 昭和の名水百選【観音水】を訪ねます。

 観音水(かんのんすい)は、愛媛県西予市宇和町明間にある湧水です。

 天正年間、当地を治めいていた兵頭藤右衛門の一族が城内に観音像を安置し、きれいな水が湧き出すよう観音像に念じたところ、清水が湧き出したので「観音水」と名付けられたという逸話が残っています。


 四国ぼけ封じ三十三観音霊場17番札所【法通寺】を参拝です。

 法通寺は、愛媛県西宇和郡伊方町中浦692にある真言宗御室派の寺院です。

 法通寺は、寺伝によると、養老元年(西暦717年)に薬師如来を本尊として開創され、当初は「薬王寺」と称していたと伝わります。室町時代末期に18番札所【出石寺】から阿弥陀如来像を迎えて再建され、寺号を法通寺に改めたと伝わります。


 四国最西端・佐田岬のパーキングからの一枚です。


 パーキングから徒歩20分ほどで日本の灯台50選【佐田岬灯台】と最西端の石碑です。

 佐田岬灯台の初点灯は大正07年(西暦1918年)04月01日です。佐田岬灯台は、駐車場から徒歩20〜30分くらいの場所にあります。復路の方がしんどかったです。


 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【佐田岬漁港の石垣】を訪ねます。

 別称・野坂の石垣(のさかのいしがき)は、愛媛県伊方町正野にある石垣です。波風から民家を守るため、外周を中心に石垣が並んでいます。この石垣は主に「青石」と呼ばれる緑色片岩を積み上げられて出来ているそうです。


 道中で見かけた「まりーな亭」さんにて早めの夕食を頂きます。観光地価格ですけど、それなりに満足する味でした。ご馳走様です。

 その後、東進して松山市内にて前回同様スーパーホテル松山に宿泊です。

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