170.九州遠征その4:対馬に上陸!【中編】
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平成24年05月31日です。 対馬の南半分では、食料をゲット出来ないまま対馬の北側へ移動です。 対馬の規模でコンビニがないのは意外でした。佐渡島や屋久島にはあったのになぁ。島民にも需要ありそうだけどなぁ。 和多都美神社(わたづみじんじゃ)に参拝です。 |
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和多都美神社は、浅茅湾(あそうわん)の入り江の奥に位置しており、入り江の中に鳥居が並んでいます。 木坂の藻小屋に到着です。 |
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対馬の海岸の村では、漂流した藻を乾かして畑の肥料にしていたので藻を貯める藻小屋というものがあります。 対馬独特の石積みの建築物です。現在残っているのは復元された藻小屋です。近くにヤクマ塔と呼ばれる円錐型の石塔が何基もありました。 |
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右の写真は、昔からこの地方に伝わる伝統行事の「ヤクマ祭り」で積み上げられたものだとか。 |
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海神神社(かいじんじんじゃ)に参拝です。 海神神社は、長崎県対馬市峰町にある神社です。離島の田舎の神社とは思えないほど立派な拝殿と本殿でした。流石は対馬国一宮。 |
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その後、社務所に宮司さんの姿が見えないので、掲示されていた連絡先に連絡を入れ、総代のご夫婦に御朱印を頂きました。 |
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対馬の最北端の鰐浦(わにうら)まで北上して豊砲台(とよほうだい)跡を訪ねます。真昼間の訪問ですが、真っ暗でした。砲台跡の空洞まで移動するのが怖かったです。へ。へ。 豊砲台は、日本海を護る砲台でしたが、実戦では1発の弾丸も発射することなく終戦を迎えました。戦後、アメリカ軍が解体、砲身は八幡製鉄所で溶かされ、戦後復興の資材として活用されたと現地案内。 |