087.大野城と水城、大宰府政庁
到達記録(大野城) | |
平成20年07月11日、平成23年02月22日、平成30年01月04日他、何度か訪問しました。 大野城(おおのじょう/おおののき)は、福岡県の太宰府市・大野城市・糟屋郡宇美町にまたがる城跡です。 天智天皇04年(西暦665年/第38代陛下の時代)に築城された古代山城です。日本書紀にも登場する城郭で、白村江の戦いで敗れた後、本土防衛の為に築城されたと言われています。 現地では、大宰府天満宮の裏手にある大城山(おおきやま)にあり、車で走れますが、城跡付近に駐車スペースが十分でないので注意が必要です。国の特別史跡【大野城跡】です。 日本100名城【大野城】。日本名城百選【大野城と水城、大宰府政庁】。 |
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到達記録(水城) | |
平成30年05月27日、平成30年05月29日他、何度か訪問しました。 水城(みずき)は、現在の福岡県の太宰府市・大野城市・春日市に築かれた城跡又は堤防です。 日本書紀に「筑紫国に大堤(おおつつみ)を築き水を貯へしむ、名づけて水城(みずき)と曰ふ」と歴史に残る古城です。 天智天皇03年(西暦664年)頃の築城とされ、壱岐、対馬、筑紫国に烽(とぶひ/狼煙台)を設置したり、防人の配置、日本100名城【大野城】や水城の築城など対唐、対朝鮮半島への防衛ラインが構築されていたことが良く分かります。 国の特別史跡【水城跡】です。 続・日本100名城【水城】。日本名城百選【大野城と水城、大宰府政庁】。 |
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到達記録(大宰府政庁) | |
他、何度か訪問しました。 大宰府政庁は、福岡県太宰府市観世音寺4丁目6?1にあった政庁跡です。 大宰府政庁は、7世紀後半から12世紀後半の間、我が国の行政機関として九州を統括し、西の都としての役割を果たしました。 地理的に日本の外交と防衛の最前線として、大宰府を守るため、北側には【大野城】、西側の平野部には【水城】、南側には【基肄城】が整備されました。国の特別史跡【大宰府跡】です。 日本名城百選【大野城と水城、大宰府政庁】。 |
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